角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

くぎの人。

 
一週間、だいたいそんな感じなのだけれど、とりわけ今日は3時に目が覚めてしまったので、起きてyoutubeでmozartを聞き、4時すぎには外に出た。

朝の清々しさというのは何にも代えがたい気持ちの良さだ。私の生涯目標は早寝早起きなので、ありがたく嬉しいことだ。
戻っていろいろをこなし終えても7時半だったりする。 
 
  
先週のどこかで、洗濯機は新旧交代し、ちょっとした虚ろ感を味わった。娘を嫁がせるような気持ち、というよりは姥捨ての気持ちなんだろう。
 
堪えがたいにおいを発散していたらっきょうが、やや落ち着くころ、ひとつきが経過し、2日ばかり水にさらすと、塩分はかなり抜けた。ひとつきも塩漬けにされながらこんなに早く抜けてしまうのは、不誠実な気がした。そうしてそれから、甘酢に漬けこんだ。
 
どのくらい塩分が抜けたかを確かめるのにらっきょうを齧ってしまったので、その日は、もう人前には出られないと考えていた。烏賊といいらっきょうといい、余計な仕業ではなかったのか。
 
iさんが亡くなった。

らっきょうのせいではなく、もっとずっと前から参列はしないと固く考えていたのだけれど、文字通りの最後なのだから、お送りしようと通夜に向かった。後日調べて知ったのだけれど、本州のどのあたりかは知らないけれど、お通夜と告別式の位置付けが北海道とは正反対であることを知った。当地では、告別式がごく近親者でおこなわれ、お通夜は仕事関係者らで溢れる。
 
思えばiさんの人生はとても幸福だったのだ。そして幸福に亡くなったようだ。親きょうだい、奥様、それからおそらくはカリスマ社長と、その腰ぎんちゃくであるところの例の起業時の社長らに、看取られたというのだから。それはiさんの生きてきた通りの結末だったように思える。そうか、生きてきたように死ぬというのはそういうことか。
 
いいかげんで、調子が良くて、時間にだらしなくて、固形物をほとんど口にせず黒ラベルを主食として、昼間から飲んで、高校生のときから女に不自由したことがなかったというiさんはヘビースモーカーでもあった。そしてそういうのは全く私のよしとするところとは違う。にもかかわらず、足を向けてしまったのは、つまりそういうお人柄だったのだ。それで会場は現役を退いていたというのに元の仕事関係者がたくさんいて、肩を震わせている人もちらほらいて、場違いな自分を感じた。
  
7年前に肝硬変が発症し、3年前に肝臓癌が見つかったというので、5年は生存しなかった。私はほんの一時期iさん見習いであったけれど、何一つ見習うことはなかったし、おそらく彼の短い人生のほんの一コマをすれ違っただけだ。私はそんなにiさんの世界とは関係がない。
  
ご親族にお辞儀をしたときにiさんのお姉さんがぐしゃぐしゃに泣きながら私の手を握ってきて離さなかった。新会社の時の事務処理に週1くらいで彼女がきてくれていたのだけれど、その後の私ときたら、社長はもちろん、iさんにも、お姉さんにも、誰にもcall backしなかったから、ちょっとお姉さんには悪かったかなと思った。
 
あの新会社のことは、自分にとって汚点だとやっぱり思っていて、人に聞かれたくない出来事になっている。自分はそんなことに首をつっこむべきではなかったのだ。第一私は何もできないくせに、ある種、金づる要員だったきらいがあるのに、お役目を果たさなかったばかりか、下手に関わって、本当に下手に関わってしまってみんなを傷つけた。私も十分傷ついたとはいえ、そんなこととは別にやっぱり人を傷つけた。あんまりよく覚えてはいないけれど、iさんが病状の悪化があったにせよ、抜けると言わせたのは私の力不足を見限ったせいだろうから、やっぱり関わるべきではなかったと申し訳なく思う。
 
私は、今でもそんなに変わらずに好きな人、というと語弊はあるけれど、がいて、肩の調子が少し良くなったから再開したラジオ体操の時にはやっぱりその人が幸福になりますようにと思ってしまうけれど、そういうことも全部含めて私はそれを恥ずかしいとは思わないけれど、あの会社の一件は恥ずかしくて人に聞かれたくはないので、iさんはどうだったんだろうと考える。
  
  
私は、何かものの感じ方がとてもうすっぺらくなっている気がするし、以前のようには良し悪しはともかくとして捻り回したような文章も書けなくなった。
でもいろんなことは思っているので、毎日いろんなことを思うことを忘れない、っていうか、忘れてはいけないことがあるということを忘れないようにって言ったらいいのか分かんないけど、それにそれはiさんとは特に関係がないし、告別式には参列しなかったけど、その日私は糠床を作った。
毎日手を入れる。勿論、自分のことだから、手を入れられない日の保全は考えているけれど、とりあえず毎日糠床と向き合うのだ。私が生きて動けている限りだ。