角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

まど。

 

あのぉ、つい出来心で、その辺にあったアボカドを糠に漬けたら驚くほど美味しうございました。リピ決定でございます。
  
店を手伝ってくれてた人が名古屋の人で、高温多湿の時期は、食パンをさわると、みるみるうちにというくらいの勢いで手の形に黴が生えるといって私を怖がらせたけれど、そういう地域では通年で常温で糠床を保持することはかなり難しいと思う。

私は7月、iさんの告別式の日に作ったから余裕で夏を越した。こういう作業が冷蔵庫のなかった時代からなされていたことを考えると、相当に気温は上昇したのだろう。
 
さておき。

同級生との「勉強会」は11月にそっとスルーしたのだけれど、忘年会をしたいという人がいて、それなら当人が幹事になればいいのに、私がメール連絡係、年金氏は電話連絡係と役割分担した。でも店のチョイスも予約も私なので、もう面倒だし、寒い夜に出歩くのもめっきり億劫になりましたし、お酒を飲みたくないので昼間の食事会ということにした。ランチ忘年会だ。

寒い間は昼間の食事会でやり過ごそうかとも思う。というより、お世話係を返上したい。
でも何かの本に、年をとったら友人はとても大事、と書いてあった。けれど私は同級生がたまに飲食店に集まる、ということだけで彼らが私の友人なのか、あるいは私が彼らの友人なのか、ちょっとよく分からない。
本には、積極的に昔の友人に連絡するといいとも書いてあった。 
 
店に高校の同級生が集まったとき、そのうちの男子(笑)は何十年も前の修学旅行時の私の写真を持っていたり、私の詩集を今でも保管していたりして、要は私にアコガレてたらしい。それなのに、店で、彼らが何か新しいテーマで集まろうよ、というような話になって、中のひとりが、私にも参加してはどうかと聞いてくれたとき、間髪を入れず「カクドはそういうのに興味ないから」と言い切った。
 
私には何一つ憧れられる要素なんかない。何か独特の近寄りがたい雰囲気があった、と言われるけれど、私は小さいし、美人でもないし、声も汚いし、足も遅い。運動が苦手という中・高校生にとってはかなり辛いコンプレックスを強く持っていたから、目立ちたくなくて、一人で静かにしていて、詩を書いていた(笑)。潤沢なお小遣いもなかった上に、過干渉な親だったので、友達と学校の外で遊ぶこともほとんどなかった。だから勉強しかすることがなくて、それでちょっとばかり成績が良かった。ただそれだけだ。
雰囲気の正体なんてそんなものなのに、憧れられて、遠巻きにされて、ハブられる。そして私は、自分が退屈でつまらない女なんだと考えるようになる。 
自分が誰の友達でもないと考えているので、自分から連絡をとったりするのは本当に苦手だ。私は事務的な用事以外は自分から電話をかけられない人間だ。かかってきた電話に出ることはできるけれど。雑談のために電話をかけることなんか20代で終わった。
 
独りは楽で好きだし、寂しさよりも楽な方が勝ってるけれど、もうひとを不幸にしたくない。
 
 
ごめんね。店はうまくできなかった。というよりも店もうまくできなかった。

幸せにしてほしいと思ったことなんかないし、一緒に地獄を見てほしいとも思ったことはないけど、自分の気持ちの重さにちょっと疲れちゃったかな。
なにか芸をしてみせなきゃいけないような、そんな気持ちになってしまって自分のありのままを忘れるというか、ありのままがどうなのか分からなくなってる。自分がどうしたいかを考えるときに、いつもひとから見える自分のパフォーマンスとしての自分を考えることしかできなくなった。どうやったら、私がどうだったら、ひとは幸福になるんだろう。