角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

話を忘れていることを思い出した話。

 

小町に、とても不可解な気持ちになったトピックがあった。
 
読んでみたらと、50代前後のご主人がすすめてくれた何冊かの本を、奥様が全部断った。
そしたらご主人が、自分は、奥様のすすめてくれた本は興味がなくても読んでみようと思うけど、「俺が勧めた本を読んでみようという気にはならないんだね」とおっしゃったそうだ。
投稿者である奥様は、読む読まないは個人の自由であるし加えて視力的にも老眼で面倒だとのこと。
   
投稿主旨は夫婦で歩み寄るために、読もうと努力すべきかというご質問だった。
  
これに対して、無理して読む必要はないという意見が想像したよりも多くて大変驚いた次第。かつ、多くのコメントを読んだうえで、この奥様が「やっぱり無理には読まない」と結論したことについて、少し呆れた次第。
 
 
息子が小学校のとき、「読んで見て」と国語の教科書を持ってきたことがある。
その時の嬉しさといったら、胸がつまるような、震えるような感じだった。今でも忘れない。
 
私が読んで、それからもう一度二人で教科書をながめて、指で窓を作ったようなおぼえがある。
「きつねの窓」というおはなしだった。
 
その時の嬉しい気持ちをはっきりと覚えているものだから、こどもであれ夫であれ、同じだろうと私は考えたのだ。
この人は嬉しくなかったんだろうかと不可解に思った。
焼きそばパンでもなんでもいいけど、美味しいと思ったら、誰か大切な人にも食べさせたいと願う。
 
老眼が辛ければ、目次ぱらぱらでも良かったのではないか。そして、どんなことが書いてあったのか、どういうところが好きだったのかを聞くだけでも良かったのではないか。自分ならそうする。


と、離婚ばっかりしている私が書いてみる。いや、離婚ばっかりってことはないかな、結婚しなきゃ離婚できないし。