角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

夜更けのコーヒー。

 

以前なら想像もできないことだったけれど、ときどき眠れないことがある。
就寝前の軽いストレッチとか、入浴とか、そういう健全睡眠のための努力とは関係なく、ぱっちりと暗闇で目を開けたりしている。たまに夕食の後でコーヒーを飲みたくなることがあって、委細構わず欲求に従うこともあるので、眠る気はあるのかと。
 
先日、深夜に冴え冴えとしたので一体自分と同年齢くらいの幸福な女性の暮らしとはどういうものなのか考えてみた。これは難易度が高かった。私はひとの生活なんか分からないのだから。けれど時間がたっぷりあるので、仕方がなく考え続けると、友人や家族に囲まれた図が浮かんだ。浮かんだんだけど、それをどう取回したものか分からない。
 
友人がいることが即ち幸福であるかといえば、別に関係ないような気がする。では家族、特に配偶者がいることが即ち幸福であるかといえば、本当に関係ないような気がするので、下手な考えであったと思った。
 
「専業主婦の嫁がアツアツご飯を出してくるので離婚危機」というタイトルのダイアリーを読んだ。基本的に熱い食べ物が嫌いで、特に熱いご飯は嫌だというご主人がいくら頼んでも何度言っても必ず熱々のご飯を供されるのだそうだ。

個人的には一目散に逃げる案件だ。
 
心の底から同情申し上げたい。と同時に、自分ならば即効で逃げるのになぜ婚姻を存続させているかが不思議であるし、そう安易に人の世界のしがらみは断ち切れないものだということも何となく分かる。
些細なことに目をつぶって暮らすのが結婚だとは知っているけれど、こういう例は毎日愚劣が積みあがるようで、狂気が積み増すようで、信頼も尊敬も地に堕ちる感じがして、それでも存続努力をさせなくてはいけないのが結婚だとしたら、実に下らない制度だ。
 
コメントはつまらないのが多い。きちんと読まないで書いているのが多くて、いかにひとがテキトーに読んでテキトーに書いているかが分かる。私も実にきちんと読まない人間なのでそれは良く分かるけど、それにしても酷いコメントが多くて驚いた。

  
結局、私が眠れたか眠れなかったかというと、最終的には、いつだって、最後的には眠るのだからそんなに問題視していない。ただ起床時間がそれによって左右されるので、2時間以上の差があるのは危険、とかいわれても4時に起きたり7時半に目覚めたりするので、定時5時起きの野望はなかなか達成されない。
 
幸福な暮らしの中には、笑い声があるのだろうかと考えた。しかし独りで笑うことだってある。特に声を出さなくても。笑い声もそうだけれど、ちょっとむかつくとか、ちょっと悲しいとかそういう、ああそういえばそれを喜怒哀楽と言うのだろうけれど、それをいちいち音や仕草にしてあらわすのは周りに人間がいるからだ。自分の情緒の揺れを知らしめて、それは時に注意報や警報になって緩衝行動を喚起するものなのかもしれない。
  
独りでいると全くそんな必要がないから、笑うときはともかく、何か腹立たしいこと、たとえばNHKの理不尽な集金人がやってくることとかがあったにせよ、周囲の空気を振動させることなんかない。
それを安寧というのだ。
一身上の安寧は幸福だと思う。