角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

きっとまた降る。

 

まだ降るのだろうけれど、とりいそぎ雪はほとんど溶けてしまい、スニーカーで歩けるようになった。
 
春の気配がするころは、未練がましく冬が好きだったと思ったりする。
毎年、雪の写真を撮りたくなる日があって、円山公園まで出かけていたのが、今季、そんな気持ちの日はなかった。

そういえば昨年は恒例であったハマナスの丘公園にも行かなかった。

今年は歩くスキーにも行かなかった。


こんなふうに行動は変化していく。バスで遠出するのは少し億劫になったものの、必ずしも全ての行動変化が老化のせいというわけではない。パートの時間が増えたり、行きたいところが他にできたり、単に飽きてしまったり。
  
このごろ続けざまに、そっち方面の本を読んで、そっちとはどっちかというと久坂部羊の本を続けて4冊読んだ。「老乱」は、主人公が日々日記をつづっていて、それがじわじわと崩壊していくところが身につまされてしまい、自分も以前にくらべて誤字脱字が増えたり、言い回しがテキトーになったりしているので、気づかないうちに崩壊がはじまっていたらどうしようかとどきどきしたけど、「日本人の死に時」で、むやみに長生きを求めない自戒、といった考えに収束していって、良寛さまの、例の時節をわきまえる言葉も引用されていたりしたので、気持ちが落ち着いた。
 
考えても仕方のないことを考えて不安になったりする年頃なんだろうか、時々は一緒に年をとってくれる人が傍らにいればよかったかなと思うこともある。まあ、あれもこれもと欲張るわけにはいかないし、何かを得るためには何かを諦めることだって必要だ。私はただ自由度の高さだけを求めてきたのだから、これでいいのだけれど。
  
 
せっかくスニーカーで歩けるようになったので、まちにでて、行きたかったコーヒー屋さんでコーヒーを飲んで、帰りに図書・情報館によったら混んでて席がなかったので、シュークリームをふたつ買って帰宅。