角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

ピクニック。

 

図書館の食堂の話を書く。食堂は地階にあって、ガラス仕切りの向こう側は注文した人の席だけれど、こっち側のオープンスペースにも4卓くらいのテーブルがあって、ここで食堂のご飯を食べてもいいし、持ち込みご飯を食べてもいいし、なんなら少しの自習とか、小さいミーティングなんかもいけそうだ。面倒くさいことなんか誰も言わない。
 
きょうはそのオープンスペースの一つのテーブルに5人家族が座っていた。大体、5人家族の中には父というかパパは入っていない。奥さんと幼児2人に奥さんのご両親で立派に5人家族なのだった。
ラーメンを2つくらい頼んで、後はピクニック状態。タッパーに入れてきた惣菜や、リンゴも見える。
なかなか不思議な光景が可笑しかった。
 
私はセブンイレブンで買ったサンドイッチと食堂にある自販機のコーヒーを。すると、中年以上の男性がここはあいているかと聞いて、隣にすわった。すると、老年に近い男性がコーヒーを持って、ここはあいているかと聞いてきて、反対側の隣にすわった。私、モテる。
 
中年以上の男性は、おもむろに持参したおにぎりを2つとその他を取り出したし、老年に近い男性はコーヒーしか飲まなかった。私は、デザートに「てぃらみすわらび」を買ってきたのだけれど、箸もフォークもつけてくれなかったため、やや途方にくれるようなココア粉のまぶされた丸い物体を少しつつくと、とてつもなくぷよぷよぷにぷになのだった。少し見つめていたけれど、手でつまんだ。もたもたしていると崩壊しそうなわらびであった。
 
前のテーブルでは学生風の男性がサーモ水筒1本と、ウエハースのような薄いものを食していたので少し心配したけれど、「わらび」を飲み込んでから、もいちど見ると、今度は袋菓子を取り出して小さなものを次々と口に運んでいたので、安心した。
 
ここの食堂まわりの光景はいつもとても面白い。
がっちりお弁当を食べている老年男性は、お弁当をもたされた以上は、早く帰宅することは罷りならないのではないか。独居老人ならば、ここの食堂は安い。お腹がいっぱいになったら、閲覧室に戻ってうたた寝するだけだ。
 
以前、図書館で本を読んでいて、ものすごく眠くなったことがあったので、私も仲間入りを果たしたかと思った。
 
等しく、誰にも等しく、未来というのは老後のことだ。未来はゆきどまりだ。
未来と言う言葉をすべて老後に置き換えてみたらどうだろう。未来にいくばくかの明るさや慰めがなければ、私たちは生きていく気力を持てないに違いない。
 
地階のフロアから中庭に出ることができるけれど、ついこのあいだまで石の腰かけが熱くて閉口し、日差しはまぶしくて食堂のロールカーテンを引っ張ったりしていた。もうじき中庭も雪で埋まる。それはそれで楽しい。