角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

少しうかれる。

 

千円カットの店が百円値上がりして、千円カットではなくなった。
もう何があっても髪を伸ばしたりはしないと決めたので毎月行く。若い頃から、どう転んでも短い髪の方が絶対に似合う。
それはさておき、カットをしてくれた人が「おきれいです」と言った。これは百円の効果なのだろうか。
何がお綺麗なのかというと、顔じゃあない。髪の色を指してそう言われた。きれいに染まっているという意味だ。
 
今使っているのが無くなったら、もう面倒なので染めない人になろうかと考えていたけれど、も少し続けようかと迷った。
 
どこもかしこも汚くなっていくような気がしている中、ひとところでも「お綺麗」と言われたのが嬉しくて、帰りにパスタ屋さんに寄った。関係ないけど。
 
そのパスタ屋さんは母と一緒に入ったこともある店だ。私は20年ぶりくらいかもしれない。何十年も同じ人がやっているわけでもないだろうから、味だって代わる。少し残念な気持ちになった。
 
懐かしい店や旅先をもう一巡、あわよくば二巡、と行脚して歩きたいような気持に駆られることもあるけれど、そういうことはきっとしない方がいいのだと思う。懐かしい人は懐かしいままでいい。会って話すことなんかそんなにないはずだ。
 
映画や本なら、当時とは違う意味に気がつくとか、自分の場合ならほとんどのあらすじを忘れているので、何度でも楽しめるから良いのだけれど。
先日「あなたが号泣した映画」という記事があって、号泣というのも凄まじくて大げさでいけないと思ったけど、自分だってちょっとむかっ腹が立っただけで「激高」とか使ったこともあるので、若いことは少し恥ずかしいことでもあった。
 
で、各人の感想する映画の中には自分が見たものももちろんあるけれど、私とは全く違う感想の人がいて面白かった。とある映画にその人は「号泣」したらしいけど、私がメモ書きした一言感想には「2000年もしつこい」と書いてある。
ここ数年、比較的たくさんの映画を見ているけれど、とても感動してかなり泣いた、というような映画をちょっと思い出せない。私はもしかしたら、泣かない方の映画が好きなのかもしれない。
 
さて、息子からは頻繁に画像や動画をアップしましたとメールが来る。ついでにお誘いいただき、何度も断るものではないので、ありがたく訪問することにした。それでついつい、手首や足首につけるガラガラを買った。
私の手首に、じゃない。
 
息子におもちゃを買い与えた記憶が私にはない。まだ文字の読めない時期に何十冊だかのセットになったのを買っておいて箱ごとそのへんに置いていた。そのうち一人で読んでいたようだが。1歳になる前から乳児保育園に預けて、がむしゃらに仕事をしていた。自分がそうだったからといって息子の配偶者にそれを強要したりはしない。彼女は今育休中だ。
育休といえば、なんだか私としてはトンデモな心証を持ってしまうニュースがあったけれど、つまり、育休を取得し続けてかれこれ何年だか経って、復帰せずに辞めた人のニュースだ。私の時代はそういう制度もなかったし、いまひとつピンとこないというか、意味が分かってないのでいろんなことは言わない。
ネット上のコメントではむしろ肯定的というか、否定はしないというような意見が多かったので時代も人心も変遷するのだと実感した。