角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

鴨の味。

 

校外実習の生徒を受け入れるため、昨日から1週間ばかり休みになった。

急きょ人と会うことになり、客として蕎麦店に行く。山形のお酒、山法師の純米吟醸微量で中からあたたまり、予てより懸案の鴨照りを。そして主目的であった、あの鰤だれの蕎麦を〆にした。
本日も昼に急きょ人と会うことになり自宅近くの蕎麦屋で鴨南蛮を。ふつか続けて鴨をいただく至福と裏腹に、そんなふうにして貴重な休みの、ふつかが過ぎることを考えた。するべきことが多すぎて、何もしないのだ。
 
一年前の今頃は学校の実習で鮟鱇鍋を堪能していた。肝をたっぷり使ったきわめて贅沢で美味な鍋を。
 
そしてその頃、道東のとんでもない氷点下、元夫は、おそらく、前から物色していた歩道橋を目指していたか、あるいはパチンコ店の喧騒で温もっていたにせよ、早晩歩道橋を目指す羽目になることは間違いなかった。
 
元夫が夫だった期間は7年くらいだった。若い時分に、彼と一緒の未来、言い換えると老後かもしれないけれど、を考えたとき、全く何もイメージできないのが本当に不思議だったけれど、未来はなかったのだから当然かもしれない。
 
私は今でも元夫がギャンブル依存症という名前で括られるのを不可解に思う。会わなくなってから随分経つので、その後がどうだったかを知る手立てはないけれど、大学の頃には既に消費者金融から借りていたというから、やはり十分な素地・下地は早くからあったということだろうか。それまでの結婚生活に表出することはなかったようだ。
宝くじは買わなかったが、将棋も競馬もパチンコも麻雀もゲームも要するにギャンブル要素のあるものは全て好きだったと思う。しかし遺留品の中に履歴書やまだ袖を通していないワイシャツがあったところに私はいつも強く引っかかってしまう。それは正気の証ではなかったのかと。
  
私と離婚してから、しばらくは仕事を一緒にしていたけれど、のめり込みの度合いが強くなり、私が一旦仕事を離れて他所にいくと、いよいよ危機的な状況になり、その後なにもかもなくして道東に移った。
だから離婚が引き金になったことは間違いないと私は考えている。保険でいうところのジュウゼロで、どちらか一方にだけ過失がある離婚はないと聞いたことがある。自分らはどうだっただろう。私がした最低な行為には理由がある。理由は書かない。私は人に体裁を繕うために、離婚理由を元夫のギャンブル癖であると言ってきたし、彼の借金履歴等から考えると全くそれは嘘ではないけれど、具体的な離婚原因は自分にある。
 
私には結婚生活を維持する意思は皆無だったから、遅かれ早かれ同じ結果が待っているにせよ、早めたのは私だ。
 
そんなことを何度も書いて、ひとに面白おかしく読まれるのは嫌だし、私が性悪で身持ちの悪い人間だと読まれるのはもっとかなしい。けれど事実は弁解しようもなく、事実だ。
ネットで検索すると、自分がしたようなことは、いかなる理由があっても許されず、人間に非ざることだとあった。
 
人を許す権利が一体誰にあるのだろうか。許せないという権利共々。
どんなふうにして人が蔓延り歴史をなし芸術や文学がうまれてきたかを考える時、開き直りではないけれど、酷い言い方だけれど、恥知らずというのは、お互い様なことだと思った。
 
多分今日の未明がその日だった。今朝方、夢を見て、元夫に話か用事があって追いつこうとして、彼が歩いて行った道とは別の脇道に、近道のつもりで反れたのだけれど、会わずじまいで目が覚めた。会えなくて良かったのだ。
 
亡くなった人を思い出すときには良いことばかりが思い出されるようだし、確かにそういう側面はある。たくさんある。仮に生まれ変わって再び結婚するかと聞かれると、しかし答えはNOだ。展望がないのは嫌だ。明るい未来というのは、死に至る照らされている道のりだ。彼にとって、歩道橋のあかりこそ。