角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

からっぽのやみ

 

「うるかす」という言葉があって、北海道の方言であるといわれているんだけど、繰り返し読んでいる辰巳芳子の味覚旬月という本の中で、「うるかす」などの料理用語が伝わりにくくなった、美しい日本語であるのに。ということが書かれている。「うるかす」の他に「したむ」「ほとびる」「うます」「なじます」「ねかす」と例があり、このうち自分が知らなかったのは「したむ」「ほとびる」で、「ほとびる」は山口弁だと書かれているサイトもあるけれど、鴎外の山椒大夫の中で「干した貝が水にほとびるように」という文章もあるとのことなので、何でも自分が分からないものを方言だと決めつけるのはどうなのかなと思ったし、やはりネット上は世間と同じだという気も再度持った。悪意なくご本人が信じて書いている記事でもそれが正しいかどうかということは別問題だという意味で。

私も「うるかす」は、子どもの頃から使っているけれど方言だとばかり思っていた。水に浸漬させて水分を目的物に含ませる、くらいの意味だと思うので、顕著な形状的変化が伴う「ふやかす」とは少し違うと思うし、自分は使い分けている。例えば、身欠き鰊はうるかすのであって、ふやかすものではない。標準語が「水に浸漬する」というのなら、標準語は随分面倒くさいと思っていた。なんだかひらがな変換に対するローマ字変換のようで、いちいち子音と母音をタイプするんですかと、ちょっとあきれた随分昔を思い出した。
「水に浸漬する」ことを〇〇という、という〇〇に匹敵する熟語があるはずではないかと考えていたので、上記の文章に出会って、有り難いと思った。辰巳芳子は母ともども東京の生まれであるとのこと。
 
「うるかす」は他動詞だ。自動詞ならば「うるける」。うるけるの過去形はうるけた。というふうに当地では言いまわす。方言である、というだけで、子どもらが使わなくなっていくのもおかしな話だ。ましてや方言ではないにもかかわらず使われなくなってしまうというのは、使われる場面そのものがなくなったのでもない限り、残念だ。
 
「あずましい」「あずましくない」についても的確な説明や適切な用例に出会ったことがない。なかには「『あずましくない』という用い方はしない」などと乱暴を書いているところもある。ふつーに用いてるけど。

お雑煮や味噌汁の味付けや具材が各家庭で異なるように、方言は各家庭で微妙にニュアンスを変えて使われてきたのかもしれない。だからこその方言なのだとも言える。その家ごとに最適化した使い方がなされるわけだ。
自分が若くて、まだ母が元気だった頃、たまに台所仕事をした時に、台所仕事は手が濡れるからいやだとこぼすと咄嗟に母は私に「からっぽのやみ!」と言い放った。私は小さい頃から良くこの言葉を言われなれているので余程横着でなまけものなのだと思う。
「やみ」とは暗闇の闇ではなくて「病む」に語源が在るのかもしれず、そうすると「からっぽやみ」という言い方があるのも道理だし、むしろそちらの方が良く使われているのかもしれない。尤も今は聞いたことがないし、自分は言われるだけで、言ったことはないけれど、ハンバーグなど肉を捏ねるとか、おにぎりを作るとかのシーンで、手が汚れて嫌なのでビニール手袋をする、というのを読んだときに「からっぽのやみ」を思い出した次第。一体手は何のためにあるのかな、と思った次第。きっと子供らや夫のためにつくる食事に関わって、手が汚れるとは何だろう。
あげくの果てに衛生云々を持ち出したりする。そんなことを言い出すひとたちはとても清浄無垢な心身なんだろうと雑菌だらけの自分としては後ろめたくなる。人が置くものごとへの価値の置き方に戸惑う。
 
わたしたちは、なかなか無垢とは言いがたい状況を時に好み、清浄とはいえないものを触ったり、口にいれたりもして、サンピーはよくて、おにぎりはだめで、肉体は良くて、挽肉はだめで、複数はよくて、不倫は倫理欠落であって浮気は絶対許さないわ!とか言い放つ奇妙な存在だ。その奇妙感の体内や表皮にある常在菌や微生物に無自覚な清潔ぶりでデオドラントしながら衣類用芳香剤で洗濯する存在だ。
 
 
疲れたので、天婦羅でも揚げてみる。