角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

清掃イベント

 

中のシロッコファンまでは分解しなかったけど、換気扇の金網を洗ってみた。それ用の洗剤を使用してもなかなかすっきりとしないので、検索すると、石鹸液が何よりも落ちるとあるので、なんとなくご商売というものを納得したような気になった。

ダンボール箱に、大きなポリ袋を入れてその中に石鹸液をつくって対象物を浸漬すると良いと書いてあったけど、面倒っぽい。

ポリ袋に水を入れると自重でシンクの排水口がぴったり塞がるので、その方がシンプルだろうと思ってそうした。かくして油汚れは爽快に石鹸液で落ちたのだった。

暇にまかせて掃除イベントが続く。今まで家事万端をそつなく疎かにしているから、生活の現場で何がどう変わったかあまりよく分からない。

出典を探せずなくて不確かな記憶なのだけれど、誰かの記事を自分解釈の言葉で書くと、従来の仕事で培われたもの、築いた関係というものがIT以降で大きく変化したかあるいはない、というようなことが書かれていて、同意したし、その頃から価格破壊、というよりは価格体系、価格のあり方、価値の変化みたいなのが一気に起きて世界が一変したような記憶が自分にはある。

電子書籍が紙にとって代わるかどうかは知らないけど、失ってからでは気づけない何かを失うのではないかと危惧した記事も読んだ。

「食器の手洗いの手順」では、キッチン周りをすっきり美的にするために、水切りカゴを使わずに、キッチンワイプとかスポンジワイプとかをお使いの方々がいるようだ。ちょっと驚いた。
いやらしいくらいに美的と衛生的を追求する需要と、技術の力を力づくでねじ込んでくるような供給が合致したのかもしれない。

なんだか本末転倒しているような気がしたし、理に適うとか知恵をなくしているような思いがした。

晒しの布巾は裂いて切り、切りっぱなしで使う。端の始末をしないで糸が少しほつれてくるのは、なんだか見た目にもよくないし、横着なようだと思っていたら、ほつれを伝って水分が落ちやすいし、折りがない分、乾きが早く衛生的なのだそうだ。

無理やりな「それ用洗剤」とか、それ用のあれとかを量産せずにはいられないのが世の中の仕組みなのかもしれないし、いちいち逆らうわけではないけれど、昨日は晒しを一反購入した。

ああなんだか婆くさい。