角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

カレーのあれ。

朝はご飯とみそ汁、ニシンの甘露煮、焼き海苔、わさび漬け、塩もみ白菜、ごぼうサラダ
昼はヤマザキケーキドーナツとヨーグルト、ミルクティー
夜は豆とほうれん草とウインナソーセージのカレー、ついでにみそ汁

仕事がとびとびにあって、どの休日も必ず「明日は仕事」なのでどこを起点と考えたらいいのか分からなくなった。
「明日も休み」状態を獲得すべく働きかけているので春までにはなんとか。

カレーについてはそんなに煮込まずにフライパンでさっと作るのが好きだ。季節により白菜と豚肉、ほうれん草カレー、豆と何か、茄子とトマト、等々あまり多品目を入れずに作る。どれもそれなりに美味しいのだけれど自分が本当に好きなのは具が少なくてサラサラしたカレーらしいのでこういうのは自分では作れないだろうと諦めている。具が少ないからといってカレールーを溶かしただけというのでは勿論なく、インビジブルでありたいということなのだから。肉だけ浮かんでいればよいというような。

以前ネットの文章で社食でカレーのスプーンをコップの水につけてから食べる人がいてキモチワルイというのがあった。
全体的に嫌悪感がかっていた。私は昭和の人間であるから、カレーを食べるときはまずはスプーンをコップの水にくぐらせてから食べなさいと親に言われてそれを信じてきた。
一口ごとに水につけるのであればそれは確かに嫌悪感をもつと思うけれど、個人的にはスプーンにご飯粒をつけない方法であって、今もご飯をもる際にヘラを水通しするように、それはライフハックのようなものと考えている。
なんでもキモチワルイと言ってしまうのはずいぶん幼稚な気持ちのありようだなと思う。

カレーのときには今でもそうしているかといえば、していない。食卓に水を置く習慣がないからだ。子供のときはカレーの時だけ水は登場した。自分のこどもが小さかった頃はどうしたかというと覚えていない。
個人的にはいつのまにかこの習慣は廃れてしまった。水道水が豊富に使えるようになったからなのかスプーンの材質なのか食器用洗剤が優秀になったのか、理由は分からない。

ついでにご飯を「もる」ということもちょっとだけ調べてみると、地域の差がはっきりしていると書いてあって北海道は「よそう」一色であり、国内の半数強が「よそう」と言っているとのことだ。「盛る」というのは東北の日本海側と北陸あたりの限られた地域のようだ。がしかし私の家では「もる」と言っていたし職場でもご飯は誰もが「もる」と言っている。
思い出したのでこれも調べてみると宿屋飯盛という人は江戸の生まれだそうだ。

どうでもいいことにこんなに文字数を費やすのも暇人ゆえのことだろうか。
それともどうでもいいと思っていないのだろうか。