角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

「三世代同居」云々の記事を読んで、ちょっと思いだした話。記事とは何の関係もなく。

 

サイトウさんは中堅プランナーだった。バブルの頃は確か三十代だったと思う。二十代がほとんどの会社の中では大人の企画を立てられる人だった。その会社の企画書・提案書の類は、例えば企画部の部長などではなくて、ワタシが一番目を通している。どう転んでもこれは事実だ。
 
その中でもサイトウさんの企画が私は好きだった。けれどプレゼンコンペでは、常勝というわけでもなく、むしろこんなに良い企画書がなぜ通らなかったんだろうと思うことの方が多かった。
私も若かったから、そんなふうに感じたのだろうけど、会社がなくなって、サイトウさんもフリーになったものの鳴かず飛ばずだった。相変わらず企画書を私のところに持ち込んでくれたものの。
 
やはり彼の企画は面白かった。大変興味深い企画なのだった。けれど、その頃にはもう私も中年になっており、何百本か何千本か知らないけれど目を通すうちになんとなく思うところができてしまい、彼の企画がなぜ当たらないのかがなんとなく理解できるようになった。
 
美しすぎるような気がした。美しいというよりはきれいすぎるといった方がいいのかもしれない。いや両方とも適切ではないかもしれない。なんというか、Win-Winどころか、あちらともこちらともつながりができ、Winが五つも六つもあるようなチャート図自体は分かりやすくきれいなのだけれど、とにかくどこもかしこもWinすぎる気がした。
 
企画の絵づらとしては、小気味よくまとまって、どの関係者も豊かになりそうに見えて、どこの問題も解決できそうな風に見えるのだけれど、ひとつとして成功したことがなかった。それでそんなもんなんだなぁと分かった気がした。
 
サイトウさんは、私が夜中であれ早朝であれ、ぎりぎりのタイムスケジュールでも融通がきくために、ことのほか私を大事にしてくれた。元夫と離婚したあたりは、私にならお金を貸せるから、いつでも言いなさいと言ってくれた。丁寧にお断りしたけど。
 
あ、それからサイトウさんのネーミングは秀逸だったと思う。ネーミング先行のようなところもあったのかもしれない。彼がフリーで仕事をした年数はそんなに長くなくて、せいぜい3、4年くらいのものだったのではないだろうか、古い日記に何度か登場したことはあるけれど、何の活躍もしないまま倒れてしまいコミュニケーションのとれない人になり、あれから何年も過ぎているので恐らく彼はもういないのではないかと思う。
 
こんなふうに消息不明な関係になったのは残念なことだ。とても残念だ。この件で、つくづく配偶者は大切だと痛感したからだ。
 
生活のことや病状のことや治療のことなどありとあらゆることが不安や怒りに満ち満ちて、話したい気持ちがおありだったのだと思うけれど、たまに電話連絡をすると、一時間は、そういった愚痴や文句を延々と語るひとだった。それで私は連絡をとらなくなった経緯がある。端的に言うと、彼女の電話が長すぎたからなのだ。
  
ものごとの本当の原因はどこにあるか分からないと思った出来事だ。
 
ああそういえば、ギャラ社の彼女も夜中に電話してきては一時間、というのがざらだった。
 
「三世代」とは何の関係もないと、だから書いたはずだ(笑)。こういう私のどこに飛んでいくか分からない駄文なんかも、嫌われる本当の原因になるかもしれないなあと、今思った。