角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

卵はもう、

 

なんか産みたくないんだよね。
と1羽目の鶏が思ったとすると、じきに種族全体の意思になる。かどうかは分からないけど、そんなことがあったらどうしようかと私は昨年あたりからずっと心配していて白髪が増えた。
 
戒律の事情とかは知らないけど、国内で見る限り、いかに私たちが卵や鶏の恩恵を被っていることかと。私は卵好きなので、卵がなければきっと泣く。目玉焼きについてはいずれ書きたい。
 
唐揚げを思う。
Kaldiで購入したグリーンカレーペーストを、思い立って鶏もも肉の下味にした。梅酢でもやってみた。ライムを絞って漬けこんだ塩ライムから揚げも試した。にんにくを入れようが、生姜を入れようが、胸肉であれ、もも肉であれ、足しても引いても裏切られることなく唐揚げは美味しい。
私は片栗粉を大目に打って白っぽく揚がるいわば竜田揚げのようなのが好きだ。
どうしてこんなに唐揚げは美味しいんだろう。
こんなに美味しいんなら、毎日飽きるまで食したいものだと考えたりする。
  
しかし、そうはいかないところに人の世の唐揚げは、ある。
人の世の唐揚げを思った。
 
そう考えると、独りで空回りするのも一旦は収束した。
それで再度頭大仏に行ったというわけだ。
 
晴れた日に頭大仏の近くにあるモアイを撮った。


そして卵を産みたくない、なんてことがないように祈るのだった。
 
けれど、私たちが卵をさんざんに割り、肉も皮も内臓も糧とし、羽根まで染めてしまう以上は、私たちを食う存在がなくてはいけなくないか。
永遠だったり至高だったりするんじゃないかなと思うのは増大した自我と命とがかみ合わずにずれたところに生まれる勘違いだから、私たちが、きっとむしばまれる、というのは正しいのだと思った。