角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

にっこり

 

学生の校外実習を受け入れるため、明日から私は2週間休みになる。プールと図書館と交互に通おうと考えていたら、店長から宿題を出された。店のコンセプトと大まかなコースメニューを一例でいいから考えなさいというものだ。
得意料理は何だと聞かれたけれど、あいにくですが、意味わかんない。
同じものを頻繁には食したくないタイプだし、違うものを作りたくてたまらないから、得意といえるほど作り込んだものなんかない。回数を重ねてきちんとできるのは、味噌汁とご飯くらいのものだ。
ご飯なら、普通の土鍋でも、羽釜でも、炊ける。うどんのつゆなら、何度も作って一番いい感じを掴んだので、美味しいとは思うけど、得意料理が「うどんのつゆ」ってのも変だ。出汁巻き卵も相当に美味しいとは思うけど、いかんせん「巻き」のところが「得意」をはばむ。
 
出汁巻きと言えば、店では一気に5本くらい巻いて、冷蔵する。卵をたくさん使って太く巻いた方がおいしいけど、一人で一度に4つも5つも卵を食べるわけにはいかないから、そうすると一人の為にリアルタイムで、というわけにはいかなくなる。
だからオンデマンドである居酒屋系では、その場で焼いて供されることはあまりないのではないかと思う。割烹ならばお任せのコースなどで一度に消化できるからその場で巻くことは可能。私がちょっとだけいたすすきのの店では出汁巻きを見たことがないけれど、板前さんがそう教えてくれた。
 
同じ板前さんの話だけれど、その店では屈託なく市販品を使う。お客様が喜んでくれる方をお出しするのだという。それがあの店の社長の方針だ。
生の新鮮な牡蠣を使ってフライにしたものよりも、揚げるだけの冷凍フライを出す方がお客様が、さすがに美味しい、とか言って喜ばれるのだそうだ。それでその店のカキフライは全て冷凍の市販品だ。手作りをうたっているわけでもなければ、今ここで生牡蠣の殻をはずしてフライにします、といっているわけでもないから、無問題だ。
市販品の美味しさを確固たるものにするためには、価格を上げる。
逆に言うと、価格を美味しさの根拠、あるいはエレメントとする消費者が相当数いるということだろう。
 
味覚なんて人それぞれだから、本当にわけわかんない。
 
某日行った居酒屋は、私と同じ学校の夜間部を卒業したという女性が切り盛りしている店だったけど、茄子の揚げ出しなんか、どう転んだってまずくなりようのないものだと思うのに、ちっともぴんと来なかった。
出汁巻きを頼んでもそうだ。ご飯がないというので素麺を頼んだら、どうしたらこんな味になるんだと思うような代物がでてきて、いくら先輩といえども、これはどうだろう、とつくづく思った。それで結構良いお客様がついているというので、飲食店は分からない。にこにことしてこぎれいで良く笑う女性だったけれど、要はそこなのか、と考えると頭が痛くなる。
美味しいものをお出しする必要ってあるんだろうか、いや、あれが彼女の美味しい味なんだろう。私の口にあわないからといってまずいわけではなくて、個々人の美味しさがあるに違いない。

美味しさというのは、センスと似ている。センスの良さだなんて絶対的なものはないと私は思う。いいセンスをしているというときは、必ず自分の好みや趣味ややり方と似ている時だと思う。彼女は服のセンスがいい、というときは彼女の好みが自分と似通っているからだ。自分が好きでもない配色に対して、センスがいいとは言えないだろう。
 
 
2週間で得意料理なんて考えられないから、私は口角を上げるエクササイズでもしといた方がいいのかもしれない。