角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

やっぱり卵な件。

 

黒豆は頗るいい感じに9割方仕上がった。今朝から煮始めて、一晩放置する。明日、も一度砂糖の残り分量を入れて火を通せば完了。あまり黒豆は好きではなかったから、とっても美味しいのが作りたくて、野崎なんとかと言う人のレシピを参考にした。味見をしたら非常に美味で、テーブルの脇を通るついでにちょっとつまみ、を3回くらい繰り返した。
 
伊達巻きにも初挑戦。銅板(学校では先生方が銅製玉子焼き器をドウバンと呼ぶのでこの字かなあ)が連日登場。またしても卵が荒ぶるのだった。巻簾でしめておいた。伊達巻もそんなに好物ではなかったけど、味見をしたらとてもおいしい。

 
さて、今年をまとめると、何のまとめにもならないけど、携帯で間違いメールを2度送った。
どなたかに送り、丁寧な返事が返ってきたけれど、私のほうはそれが誰だか分からなくて、やはり丁寧に誤作動もとい誤動作である旨をお伝えした。
 
もひとつは、たびたびお知らせメールが届く携帯キャリアに、間違ってメールを送った。ご飯が出来たメールを息子に送ろうとして「はよはよ」と打った。非礼お詫びメールを出しておいた。
 
休眠してるらしい会社のことは、めったに思い出さないし何の感慨もない。
年をまたぐ仕事が重なって入り、忙しいせいもあるかもしれない。
 
サーバー関係が少しややこしくなっているので、パソコン方面で10年来お世話になってる人においでいただいた。ついでにウェブサイトを抹消した理由とかをかいつまんで話すと、刺したりする前に連絡をくれという。いや特にそんな予定はないけど。
 
それと、なんとなく不埒な感じに引いて疎遠になっていた便利屋さんの友人とは事務所の引越しを契機に連絡関係が再開した。
 
この人たちは、なんとなくタイプが似ている。物騒の周辺で極めて冷静に淡々と自分の仕事を的確にこなしている。
私は人に友情みたいなものをひけらかして頼みごとをすることは絶対にしないし、この二人に関しても、仕事に関してはかなりシビアで全くビジネスライクであるので、そこを私はとても評価しているのだけれど、彼らは私の有事の際に、力になってくれる気が満々であるようだ。
「見返りを求めず、単なる趣味みたいなものとして」と若い方の人が言った。この人のお父さんと私は同い年だ(笑)。
 
ネット環境と力仕事系に安心することは、自分の生活にはとても重要だ。それで私は安心しきって危険を目指せる。
 

あと、いまさらだけど、感情を人にそのままぶつけるのは知的じゃなくて、とても駄目なことらしいと分かったけど、説得力に欠けると思った。
喜怒哀楽の喜と楽はいいけど、マイナス感情がだめなのは、まさに勘定的だと私は思うんだ。
でも、そういう感情を直接受容したり発現したりする習慣がない人にとっては、アルコール分解酵素のない人に、美味しいからとお酒を勧めるようなことかもしれない。

とりあえず、そこまで分かったけど、じゃあどうすれば、というのがよく分からない。
悲しいときに悲しいといえない人間関係なんかおかしいと思うし、怒っている気分を抑え込むと悲しみは癒えないのだ。

私は熱かったり生臭かったり汗臭かったり騒々しかったりするカラザであなたの世界とつながっていようとする。
あなたの言う恥ずかしくない生き方とは何なのか、それは、見ない生き方ではないだろうか。
酔いつぶれて泣いた、泣き疲れて眠った、ひとの恥のにおい、膝についた瓶の破片、傷についた土。あなたの周囲の生臭さを消臭しきることではなかったか。卵の中にいるのは私ではなくてあなたではないのか。
 
みたいなこともちょっと考えてた。
パスカルって人が、感情もそれ自体で一つの理性を持っている、とか書いてたらしいけど、私は、論理は感情のアクを掬う愚直な作業かもしれないと思う。もちろん全く愚直をばかにしてるんじゃなくて、さっきエビの殻で出汁をとってるとき、アクを掬いながらそう思った。
 
 
冗長だったけど、それはいつもだけど、いちねんを総括するのは長いものなんだ。

よいお年を。