角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

よく間違う。


私は、よく間違う。
 
出勤途上の大通公園で、信号待ちの向こうっ側に、バイト1号君、つまり、自分の息子がいるのを発見した。
信号をわたって、顔を覗き込んで声掛け寸前で、違う人だと気が付く。
 
紛らわしいことをやめろ、と、息子にメールを打つと、紛らわしくてすまぬ、と返事がきた。
 
こんなことはしょっちゅうだ。
そのたびに、さっき自転車に乗ってたのは君か、とメールすると、ありえない場所と時間でもそんなことを言うもんだから、完全無視されたりする。死んだはずのかーさんまでが、そこらへんの雑踏を歩いていたりして、賑やかだ。
 
私は家族の顔を良く知らないんじゃないかと思う。
家族はおろか、自分の顔だってよくわかんない。以前、露天風呂に浸かっていて、その様子が鏡みたいに本館の壁に映りこむので、きれいなおっぱいだなあと、うぬぼれていたら、本人よりもさきに、おっぱいの方が湯船から上がっていっちゃった。
 
 
実は私は、メールだって間違う。
Aさんに送るべき仕事メールをBさんに送った。
それを短期間に2回繰り返してしまい、Bさんがやや呆れた。お二方が同じ会社だったから良かったものの。
 
そんなだから、自分と同じように、ひとも間違えるもんだとばかり思っていて、つい大切なひとに、疑いというほどの疑いではないけれど、単純にああ違うみたいと、適用してしまい、言葉で殴られた。かなり内出血した気がした。
 
それでも、自分の方は、毎度毎度簡単に回復するけれど、よく考えたら、最初に殴ったのは私の方だと言えなくもないので、みんながみんな私のように鈍くてタフなわけではないということを、一体いつになったら私は覚えるんだろう。
 
憎らしい言い方をすれば、ひとが治ったか腐ったか、私は分からない。
 
けれど、信頼するということは、必ずや回復することを信頼しているということだ。