バイクでコンビニにやってきて、お弁当か何かとともに去って行く人は、あれはハンドルに袋をぶらさげているのか、手首にかけてハンドルを握っているのか、そばに寄ったことがないからわからないけれど、そんなふうにコンビニの袋を手首にかけた宙づり状態のまんま、地下鉄コンコースのベンチに腰掛け、大人の形をした男が泣いていた。20代だと私は思った。
両肘を突っ張って嗚咽する。
嗚咽の合間に地下鉄南北線はやってくる。
こんなとき似合うのはセブンイレブンの袋ではなくローソンの袋なのだった。
泣きじゃくると袋が揺れる。
袋を置いたらどうなんだ。
置いて泣いたらどうなんだ。
背中をさすってやろうか、頭を撫でてやろうか、耳たぶを噛んでやろうか。
おっぱいをまさぐらせてやろうか。
からあげくんのあらびきペッパー味が、欠品していたのかもしれないし、猫に追いかけられたかもしれない
夏の六畳ひと間に小蠅が湧いたかもしれないし、山道の雨に打たれる夢を見たかもしれない
しゃくりあげて堪能したのは何だろう。
与えないから、あなたは喪失する
何のひねりもなくいとしいと思う。雨の話を聞かせてあげる。
夢のような雨の話なんかしていない。
雨のような夢の話でもない。
私の話というのは、
夢に降る雨に濡れた話だ。ずぶ濡れた夢に目を覚ましてずぶ濡れていた話だ。
私に降る雨はあなたを濡らすことがない。
「悲しみに似たもの」なんかない。