角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

とうきょう富裕伝

 

夕刻、ミッドタウンの、ひとけのない上の方にどんどん行く。涼しくて、入場をとがめられず、かといって混雑してなさそうなところを探す。

しばらく体を冷やしてから、街内のレストランの高い敷居を跨ぐ。
戻ってから会う人ごとに自慢しようと、「独りディナー非日常的桁違いコース」を計画した。

でてきたのは、ウニを牛肉で巻いた上にスモークキャビアがのっかった皿。
それがベストorベターマッチングであるかどうかということよりも先行するものがあるようだ。
そういう結婚してる人、いるよね。どうでもいいけど。

えーと、「けいらん」と呼ばれる東北地方の郷土料理は、小豆餡入りの餅か白玉に、塩味か醤油味の汁をはっていただく行事食だという。
それを知ったときは、あまり豊かではない地域の、祝儀の食だろうと考えた。甘味の不足を背景にした、もてなしの「盆と正月」バージョンだと思ったのだ。
それで少し衝撃を受けながらも、それもありだなぁと感じていたが、あとで調べたら諸説があるようだ。室町時代に禅家に発した点心由来であるとか、夜酒盛り(よじゃかもり)風習に関わりを持つなど。

「うにうし」と「けいらん」は、やや似ていて、大いに非なる方向だ。

話が前後したが、レストランでは女性がメニューを持ってきて、詳しく説明をされたので、しかるべきコースを選択した。一皿目がやってきたのでありがたく味わう。

その直後に、先ほどの女性が再びメニューを持って登場。実はさきほどのメニューは、変わっているのだという。わたくしが選択したコースの内容の一部に変更があると同時に、価格更改がなされていた。

わかりやすく言うと、仮に私が500円也の定食を頼んで、焼き魚に箸をつけたとたんに、「ああその定食はねぇ、焼き魚の他に、ほうれんそうのおひたしをつける事にして、値段が750円になってるんだよねー。昨日から。」というようなことだ。


「ということで、大丈夫ですか?」

と言われたので、私はことを荒立てるのは全く好まないし、ヒステリーでもなければクレーマーでもなく、ただの静かな女であるから、大変静かに「大丈夫ではない」と答えた。

最も好意的に考えて、古いメニューを持ってきたのは、店のミスだ。

自分がシェフであったなら、と考えた。ミスを客に担保させることなど絶対にしない。そこはひとつ赤字しても、こらえておく。黙っておくのも仕事のうちだと思う。古いメニューがなぜ混在しているのかも不明だが、メニューは店の看板だから、それを看板に偽りあり、というのだ。

しかも、先に書いたように、私が腰かけたのはカウンター席だから、女性がメニュー説明をしている間、中の人はみんな、カウンターの中にいて、気付く気があれば気付くんじゃないかと思う。
他に客はいなかったから調理中ではなかったし。

よほど田舎もん扱いされて、いいようにされたんじゃないのかと、思う人もいるだろう。
そうかもしれない。ひとから見たら、うっわあー北海道くさい。と思ったかもしれない。だが、私は北海道人であるから、北海道人らしいのは当たり前だ。

薔薇の花は薔薇の香りがするものだ。ははははは。

気の弱い人なら、きっと妥協せざるを得なかったと思う。ところが私は、全員を敵に回しても、そういう納得のいかない話に屈するのは、もうとんでもなくいやなんだ。

かの有名シェフは、スタッフ女性にまくしたてていて、彼女が右往左往することになったけれど、そこは彼が私にきちんと言うべきことを言う場面ではなかったか。無様だと思った。

地価なりに客単価を上げるためには、高価食材を取り合わせるのは必定だ。食材は、カニを筆頭に、銘柄牛やブランド豚から、ウニになり、アワビになる。さらに産地差別化や肥育飼料の差別化にも動き出す。

「高価であること」が「料理のたのしみや味わい」を超えて、ある種ステイタスや接待ツールの「一つのユニット」になっているような気がした。
それはパチンコ屋の裏の路地の突き当たりの木造小屋の向こう側の見えない小窓をノックして、剃刀だとかチョコレートだとかを中古品売買だといって換金するシステムに似ている。

富裕は貧困を嫌悪する。ウニソースが躊躇なく洗い流される。

舐めまわしたい。