角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

さながら。

 

お風呂にはいっている間に新年に切り替わってたし、毎年のことながら、特に何の感想もない。
 
飲食的デモンストレーションとしては成功裡に大団円を迎えつつある。
年末は、連日買い出しに行ったり、といっても大げさな買い物をしているのではなくて、忘れ物の書い足し程度だが、加えて家庭内調理実習などを実施し、疲労した。さなかに、鶏の皮だけが残ったりしたので、フライパンでこんがり焼き付けて塩を振って慌ただしく食した。これをマカナイっていうのかと思った。そういうのはやたらと美味しい。
 
元旦に、どっかの占いサイトをのぞくと、私の気質に「野獣さながら…」とあった。野獣さながらにどうだというのかは覚えてない。きっとさぞかし当っているんだろう。うん、私は、さながらだ。
 
 
押井守だったかが、行きと帰りは違う道を通れ、みたいなことを書いていて、私も車で遠出するとき、同じ道を通って帰ってくるのはかなり嫌いだ。だから、どこにピークを置くかは人それぞれだけれど、復路ともいえるピーク以降の人生は全く違うことをしたいと考えている。
ライフワークと言える仕事にめぐりあえて、貫ける人は幸福だと思うし、それをできるのは余程のスペシャリストの人だとも思う。自分にはそんな実力はなかった。
 
何年も前だけれど、お客様企業の担当部長が「あなたはとても優秀だ。けれど、あなたに何をお願い(仕事)していいのか分からないのは、我々のいたらなさだと思う」と仰った。そこから何年かその仕事は続いたのだけれど。他でもそんなことを言われた。
でもそれは実は私の至らなさだ。優秀というのはリップサービスだけど、私はいわゆるセルフプロデュースとかが出来ない。自分に掛け値をつけて売り込むことが出来ない。そういう才覚がゼロだ。
 
そのうえ、もっとも信頼している人から「お前は何もわかってない」と言われ、本当にそうだと思った。
今までやってきた自分の仕事が何の役にも立たないものだと理解した。それ以来、私はその種類の仕事で、一切の営業をしていない。
 
危険な道を選ぶのは、そこしか道がないからなんだろう。
 
そういえば、押井守は責任を担う人間だけが自由になれるとも書いていた。私は「責任」というのは消毒臭い言葉だと思っているけれど。