角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

奄美のねこ こねこものねこも

 

4倍だか5倍だか、例年よりも雪が多いうえに、気温も低いので、そりゃ寒い。

お正月明けから10日程度で1案件を片づけた。
相手先とのやりとりがあるので、10日間をまるまる使うということはないけれど、数日間は満足にご飯を食べないで仕事をする。一昔前のような睡眠時間の削り方はできなくなっているけれど、とりあえず起床時点から就寝時点まで根が生えたように仕事をする。で、数日間でひと月分を働いた。
私の仕事はずっとこんなだった。睡眠不足と栄養不足でお肌が荒れるお仕事だ。

日照がないと部屋の気温はなかなかあがらない。


奄美の猫を考えた。2011年、奄美に猫はたくさんいた。2011年というのは私が奄美に行った年なので、それ以外の年のことは知らない。


あけ放した玄関先に猫親子がいたので近寄ったけれど、手をだせなかったのは、全子猫がかなりの皮膚病にかかっていたからだ。これは無理だと思ってそれ以上近づきもせず、愛想もしなかった。
私は動物には愛想をしたり、挨拶を時にはする。


空港脇の散策路コースになっている細道はチョウセンアサガオと野アサガオが乱れ咲いていた。
誰一人も、要するに人を見かけることはなかったし民家もなかったのだけれど、日差しの陰、草草の窪みのあたりか、どこからは分からないけれど、歩くたびに風を揺らす都度に、唸り声が聞こえるのだった。姿を見せない野猫の怒りだ。


野猫に注意と、パンフレットか何かであらかじめ読んでいたので、静かに歩いた。時折写真は撮ったけれど。
道を歩くと、ハエなのかアブなのか分からない種類と量の羽虫が私をめがけて飛んでくる。久高島でもそうだった。生きている物体であると認められている気がして、うっとうしいけど少しは生き物の私としては誇らしい気がしたけれど、良く考えたら、生きていることを期待されていたとは限らなくて、もうすぐ生きていない物体になることを期待されて、急かされたのではないかと気が付いた。賑やかしのようでいて、悪意ですらなく、ひたすら食いたい食いたい食いたいと急かされたのかもしれない。


残念ながら私はまだ生きている。
野猫を煽って痛い目に会うこともなかった。


野猫の記憶は捨てられた記憶だ。捨てられた同士が番って敵意を承継したかもしれない。愛玩動物としての気の遠くなるくらい長い歴史というのは、慣れないもの、飼うに不都合なものをヒトが捨てた歴史だ。猫が猫であることを、猫の命を一体誰が愛するんだろう。完全な野生ならば、不用意に唸り声を出して存在を知らしめることもないのではないかと思う。ヒトの近くにいてヒトに捨てられたあからさまな敵意なのだと思った。


いちばん愛されたいのは皮膚病の子猫だ。捨てられた猫だ。子猫のほうは跳ねたい盛りに跳ねもせす、どんよりとした熱気の中でやがて羽虫を呼ぶのだろう。野猫は姿なく恨む。


私は、皮膚病の子猫を抱き上げて撫でたり、野猫に爪を立てられながら抱きしめたり、ということはできなかった。できなかったことをきちんと覚えていようと思う。


自分の生活が数年前とは全く変わってしまい、元の、あのころの、当時の、なんでもいいけどとにかく私はかつての私ではなくなったかもしれない。なくなりつつあるかもしれない。あるいは私は私のままかもしれないけれど、そんなことを自分自身はわからないものだ。私は、誰かを通して自分を確認するということができないから、自分の姿は見えないのだ。野猫。