角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

ねぎめた。

 

ねぎめた。
ってのは新手の音楽かと思ったら、ぬただった、ぬ・たっ。
視力がどんどん落ちて、代わりに読み違え能力は顕著に向上した。


第2弾の仕事の決着が2月上旬には着くので、慌ただしさももう一息だ。
そのあと学科の試験がある。
それが済んだらどこかに行こうと考えたら、もうほかのことが何も手につかなくなって、今日という一日が終わる。

昼過ぎまで所用があってJRででかけ、それ以降はご飯も食べずに旅行計画を立てていた。

私は乗り継ぎ関係やら、時間の段取りを考えるのが非常に好きだ。
それにしても、そんな場合ではない場合に、遊びにでかけようとする度胸は凄いと我ながら思う。立派に大ばか者だ。あいた口がふさがらないことだ。すんなりと出かけてしまえるのは少し悲しいことなんだろう。

度胸といえば、年明け早々に髪を切った。思う存分切った。
男の人は少しも似合ってなくてもとにかく、長い髪をよしとするようなところがあるようなので、それは私自身をみてないことだろうと、十二分に切って、ざまぁと下品な思い方をしたけれど、もはや私を誰も見ないので、そんなに力むこともなかった。首が寒い。


さておき、さっぽろ。
地下鉄なんかは、どこのまちだってそんなに変わり映えするはずもなく。
改札をぬけると、ときどき間違いそうになる。この改札から右方向に向かうのが日常だったこともあれば、左に行くのがあたりまえだったこともある。18丁目で降りる日々、52番を待った日々、植物園脇を通った毎日もあれば、大通公園を通った毎日もある。そしてそういうのは突然終わる。いつものコンビニでおやつを買うのが日課だったこともふいに終わる。一週間に何度か通ったご飯の店が、ある日を境に二度と行かない店になる。
3番か5番か迷う出口の選択が毎日続くような気がしていた。
どの日も私の毎日だし、どの日の私も私だった。
 
私はずいぶん不器用だし、これといった才能もないから、すてきな絵をかいたり、音楽を作ったりして、これこそが私の私、very私、濃縮私だとあなたに何か、表現した作品をお贈りすることはできない。
それで、私は、自分のつたない日々の積み重ねと、やがてそれが掠れていく有様そのものを見て欲しいと考えた。

けれど、差し上げようとした私の時間作品の半分しかあなたは見ようとしない。

あなたは月をみないで月が欠けていくのが分かるんだろうか。まだ少しはふくらみのあった時の月をみないで、月のまるを分かるんだろうか。再び円形しない月のまるを。


そして月はフライパンのようでもある。

時々悔しくて涙にじませ金だわしでこするフライパンだ。
同じ場所で約束のように焦げ付くのを、地金がでるまで何度も磨き、何度も焼き付け、何度も油を通すと、いつか馴染んでくると私は信じているけれど、あなたはどうだろう。
焦がしたままで死ねるだろうか。