角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

夢でもし。

 

知人の便利屋さんが、引っ越し以来5か月振りくらいに電話をくれた。

あろうことか、私の母が夢の中に出てきて凄いインパクトだったと言った。人嫌いをする母が、親戚のようだと彼を信頼していて、バカな一人娘(私のことですが)をよろしく頼むといつも言っていたそうだ。夢の中でも同じことを言ったらしい。かあさんったら。
 
母が亡くなったら私の砦がなくなる、という話。どれだけ私は信用されていないのかと。たしかに母が存命であれば店などは絶対に絶対にオープンしなかったし、調理師の学校にも行かなかったと思う。母は私が何か行動することをとにかく嫌うのだ。
 
私が辛うじてパートタイマーとして仕事をしていると言うと、便利屋さんは安心したようだ。人の三分の一にも満たないような仕事量は、せいぜい3万円くらいの給料にしかならないので、何らの安心材料でもないと思うけど。早起きして時間通りに出かけてせわしない仕事をするというような面倒を背負うと、休日の楽しさが一入なので、そのためにだけ通っているような気がする。
 
何か素晴らしい生き方をするとか、立派な年寄りになりたいとか、そんなことがどうして必要なのか全く分からない。
そういうところから全く解き放たれた自由をこそ願うのだ。何不自由なく暮らすよりも私は自由度の高い方を選ぶ。
 
便利屋さんは毎日晩酌をする。いつも飲んで電話を寄越すので、話が長くなってぐだぐだになる。
彼の場合は便利屋さんといったって、成功している便利屋さんなので、今は株式会社の社長だ。それで後継者を育てなくてはならないというので、私もそこはとても気にしているところだ。なぜなら私が100歳で消滅するとき、彼は92歳であるから、さすがに私の後始末はお願いできないから、良い後継者がいなければ本当に困る。いや、私は消滅しているので困らないけど、なんとなく困るような気がする。その困りハードルを下げるためにも私は100とは言わず、そこそこでクリアした方がいいに違いない。
  
今度食事に行こうということで長電話から解放された。酔っぱらいの言うことだし。
 
酔っぱらいとは打って変わって、本日のランチは、ひさびさの年金氏と一緒だった。こちらは4か月ぶりだ。年内に仲間内で食事会をしたいというので、あなたが幹事をするのなら、と言っておいた。私は面倒だからもう嫌です。
 
 
かあさんが夢にでてきませんように。夢で叱られませんように。