角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

備忘として。

 

満月を見るとたいてい走ってしまう。
 
満月を見る時、というのは大体が復路だ。
早い時間の月は低みにあって、やたら大きいから、つい走ってしまう。
 
ぎりぎりの打ち合わせがあって、外にでると透徹した空に満月らしい月があった夜に、空港に向かった。
ネイルサロンに行く暇も髪をどうにかする暇もなく、事務所のまんまの恰好だったので、着いた東京の暑い事といったらなかった。
 
本州開催のイベントだと聞いて一も二もなく、両手を挙げる勢いで、私が行くと宣言したのは半年近くも前だった。
受付担当だからと、またしてもモノゴトを甘くみていたのだが、世の中はそんなに甘くなく、設営から撤収まで込みであった。
事務所にいる時のまま、カーゴパンツとTシャツ姿で椅子の上にあがったりしていると、受付の時もその恰好なのか、と眉をひそめんばかりに質問されたりしたが、んなことはなく、スーツもパンプスも持参したために余計に荷物が重く、疲労困憊の日々となる。
 
チーム作業はやたらと気疲れした。
声高に、一緒にしようよ手伝うよと言って、数分後にすっといなくなってしまう人とかも発見した。人のありようは実に様々だ。
 
誰かが見えないところで仕事をしていると、神様が見ててくださる、ことなんかないと思う。独りで黙々というのは、独りなのだから、絶対に誰も見てはいないし、想像すらしないに違いない。自分の良心や、良心というほどではなくたって、自分のやり方に照らして働けばいいんだと思う。
 
日比谷から茅場町に向かう帰りの地下鉄では腰がぬけそうだった。どこに行く気力もなく、ホテル近くのはなまるうどんに入り、果物店で柿とぶどうを買って戻る。
 
暑かったせいもあるが、激しく疲れているのに眠れないのは初めてだった。暗い中で、一日をぐだぐだ思い出していると、かあさんがいつも言ってた言葉を思い出した。
そういえば、かあさんは、子供の私に、かげひなたのある人間になってはいけないとそりゃもういつも言っていたんだった。もひとつ、かあさんの口癖は「ひとはひと、自分は自分」だった。
 
母の思うような人間に成長したかしなかったか、それは私は分からないけれど、そんなことを考えていて1時を回っても寝つけず、朝は起き上がれなかった。
もちろん、それでもフリータイムは駆けずり回ったので、翌日はダウンした。帰札が夜中だったため、翌日母の病院に行くと「痩せたね」と言う。
 
私がいつも満月を見て走るのは、家にいるかあさんに、きれいな月が出ていると教えるためだったのだが、もうそれもかなわない。
 
それにしても、走ったのだった。