角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

じゃいたい。

 
事務所のさかなは良く生む魚。事務所のさかなは良く生まれる魚。私は魚に生まれられる。
「れられる」の水槽に「じゃいたい」はいつも小さな前足をひたしている。
 
ジョブズが逝ってしまい、少なからず動揺した。
私の知っている世界が次々と終わってしまうことに。
   
そして、2003年頃に夢中だった人、もう名前を思い出すこともあまりなくなっている、ジョブズ信奉者であった人を思い出し、彼が受けているに違いない衝撃を想像した。
彼の知っている世界も次々と終わってしまっているのだろうし、私が彼を思い出すきっかけのいくつかはジョブズを見聞きすることだったから、私は、いよいよすっかり忘れてしまうのだろうと思った。
私は、その人のアクの強い文章が好きで、読みたくてたまらなかったものだが、twitterで健在ぶりを見つけたとき、もはや心は躍らず、全く彼の文章がなくても平気になった自分に驚いたものだった。
 
 
誰かを好きになって、誰にも言わないで過ごす。
 
始まろうと終わろうと忘れようと忘れられようと、日常を踏み外すことなんかない。
わたくしは正しくわたしの前足を「れられる」の水槽に入れて、時を待つ。
 
ジョブズのスピーチのしめくくりの言葉は、ぼんやりな私をして泣かせる類の言葉だったけど、それはいつも空腹を抱えたり、まぬけを極める私を肯定したんじゃないってことくらいわかるけど、きっと2003年の彼は、とうの昔にこのスピーチを知っていて、ひそかに泣いたりしてたんじゃないかと思う。
  
foolishのishは「らへん」のようだ。私にはishがないから、ただの馬鹿者だ。
 
天使は天使にあう。
hungryっぽく言うなら、わたし、馬鹿者は大馬鹿者にあいたいのだ。
 
私は、うそつきは馬鹿者にはなれないと思うけれど、
いつかあなたは大馬鹿者になれるだろうか。