角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

風の音

 

私は風の音がとてもこわくて、台風はいやだ。
 
なんだかちぎれそうなくらいに疲れようとおもって強風の雨の中を遠くまでドライブしてみたけれど、風の音がこわくて疲れているのに目がさえてしまう。
一度でいいからこんな風の音がする夜に、脇の下に頭をうずめたり腕にしがみついたりして眠りたい。
 
幻視・幻聴を調べていて、幻触という言葉を知った。幻痛というものもあるらしい。
かあさんが身体を痛がるのは、私はそれは幻痛かもしれないと考えたけれど、ひとの痛みを、それはありもしない痛みだと一体だれが言えるんだろう。
かあさんは痛がっている。それは事実だ。
 
一人の時、かあさんは痛むのだ。夜中の幻聴と幻視、それさえなければ全く正常だし、何でも良く知っているし、覚えてもいる。ニュースもラジオで聞いているし、先日は高校野球を聞いていた。起き上がる筋力も気力も随分萎えているくせに、視力もほとんどないくせに、私を見るなり、見苦しいから髪を切りなさいと言った。
 
それで私は次の日に髪を切った。
 
私は子供の時から、かあさんの言う事を良く聞く。ちゃんと聞く。
出かける時の服装も、そんな恰好で!と言われると、途端に自信喪失して、着替えし直して出かけたし、友達同士で遊びに行く話をすると、「あなたは行かなくていい」と言うから、行かなかった。私は父と母の言う事を聞いていれば大丈夫だと思ったし、親の言う事は聞くものだと、言われ続けたからそうしていた。
 
私は本当は一人ではちゃらんぽらんで怠惰そのものだし、暮らしのことが良く分からないので、かあさんが死んだら、私も死ぬと言っていた。だから、弱って行くかあさんを見るのは、自分を俯瞰している気になる。
 
だけど、とても不思議なのは、こんな風の日、こんな雨の夜に、しがみつきたい腕というのは、かあさんの細い腕なんかじゃないってことだ。
 
私は私の痛みの話を聞いてほしいんだ。だけど、言いかけただけで、ありもしない痛みだと叱られてしまう。
人の痛みを、それはありもしない痛みだと一体だれが言えるんだろう。
 
私はずうっとそれだけを言いたくて話したくて書きたくているのに、聞いてもらうことができない。痛みはあなたにうつったりしない。風の音も届かない。
 
短い髪でもやっぱり窓を開けて走るとなびいたし、帰り道は眠くなったので、珈琲屋さんに寄ってアチェガルーダを飲んだ。
 
私の髪の毛はいつもぐしゃぐしゃだ。
 
今頃かあさんは、ありもしない話声や唸り声を聞き、私は鼻をかんで日記を書き。