角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

いろいろ決めたこと。

 

目下の困りごとといえば、ご飯がおいしすぎるくらいのものでして。
プールの後で久々に宮田屋に寄った。私は本気でテニス肘(腱鞘炎)を早期解決しようとしているのだ。だって珈琲カップとか、両手で持たなきゃ辛いというのは、いくら私が大げさな女だとしてもいささか不具合だもの。だから無理やりに宮田屋に寄らなくてもよかったんだけど、それはそれとして。
 
で、真剣に考えてみた。もし私がサッカーくじか何かで数十億単位で当選したらどうしようかと。このことは折に触れ、考えることなのだけれど、もう私の中で答えは出ているのだ。贅沢しないで暮していけるくらいは生活費としていただき、息子のためには人生が変わるほどの大金を遺さないことにして、あとはNPO法人みたいのを作って奨学金事業をしようと思う。うん、そうしよう。
 
何度考えてもここに行きつく。住宅は、住みなれた今のところを少しリフォームするだけでいい。世界旅行もとりあえず治安的にこわいので行かない。車は要らない。
スポーツクラブに入って、しばしば通い、無理なく仕事をして、たまに温泉とかふらりと気の向くままに行けたらいいので、当たらないかなあ。使い道を確認したらとても落ち着いて、こわいものがなくなった気がした。
 
あ、私は宝くじもロトも全く買いません。
 
昨日は母の墓参に行った。本当に公園のような美しい場所なので、私もそこにしようと思う。
墓参客は見渡す限りいなくて、送迎バスの時間になるまでたっぷりと、広さの中で本を読むことができた。そしてかあさんが生きてたら私が、今の私がだめなのかどうか聞きたいと思った。私は実に都合よくかあさんの喋り口調を心の中で復元できるのだ。かあさんは、そのまんまでいい、だめじゃない、と言った。と思う。
 
私が苦しいのは、世間的な尺度に自分のやり方が嵌らないからだ。人からみたら私がもしかしたら不幸そうに見えるんじゃないかと時々気がついてうろたえる。そうすると本当に私がもうだめで不幸な人間なんじゃないかと思ってどきどきしてくる。
 
今回、ギャラ社をやめたことで多くの人に嫌われてしまった。けれど実のところはどうなんだろう、責任を取り沙汰されるような迷惑をかけたなんてことはないのだ。今までどうにかやってきたのだから、これからだってどうにかやっていくんだろうし。とはいうものの、私のイメージからは「いい人」が欠落したと思う。それだって今まで本当に「いい人」だったのかは大いに疑問なので、どうでもいいことだ。
 
にしても、あらためて私には味方が誰ひとりいないことを認識する。ただひとりもだ。No oneでありNo one elseであるのだ。
 
さぁて。
 
髪が伸びてきたので、このまま少し伸ばそうか、切ろうか大いに迷っている。億の使いみちは即断できるのに、自分の髪の毛にこんなに迷うなんて。