角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

一斉の春。

 

休むということを思いついてしまったら最後、どうにも抑止力を持たないので、休むことにした。
 
いろいろ考えだすと暗い方向に行かないとも限らないし、表層的であるにしても、せっかく築いた良い関係が壊れるのは嫌なので今日から、ハコが決まるまでということにして私は期限を決めずに蕎麦店を休む。
 
ハコ案件は、決める前に店長に見てもらう事を約束した。その辺が少し落ち着いたら再度通うつもりであることもお伝えした。実際に通うかどうかは別として。
 
休んでいる間に働き続ける体力をつけたいと思う。それとも腕肩をどうにかするのが先なのだろうか。でもそうやっていると上達するどころかどんどん技術は落ちていく。素人がド素人に戻るのはあっというまだ。それで優先順位をつけられずに、とりあえず5月1日はぼんやりした。
 
本日は浮かれて近隣の桜を見に行く。歩きながら考えた。ほんとのほんとに、私が未経験のままに飲食店を開業するか否かを決断する最後のチャンスだ。動き出したら後戻りはできない。私は何もかも失って、失うという意味では元夫の二の舞になるかもしれない。

桜は満開の上、梅も咲いていた。
 
やりたいことをやれば良いのだし、危険な方を選ぶといったって、無謀過ぎてさすがに腰がひける。だったらもっと別な切り口でシンプルに考えれば良いのではないかと思った。
私は、夜の時間に仕事をするのはとても嫌だけれど、つまり夜の仕事は嫌だけれど、ひとに夕ご飯を食べて欲しい、作りたいと思ったら、それは夜の時間になるのは当たり前だし、誰かが美味しいと言ってくれるのは無条件に嬉しいと思うので、そういう嬉しい経験というのは私をお金持ちにはしなくても、幸福にすると思う。それでいいんじゃないかな。何の解決策でもないけれど。
 
私は、健康なのに働かないのは恥ずかしいことだと思っている。
かなりの期間を無給で過ごすと、「働いて生活をたてる」という当たり前の感覚を忘れそうになっているのがかなり怖い。以前なら、朝出かけないのが嫌で、少しでも早い時間にゴミ出しをしようと思ったし、夕方に出かけるのだからと自分に言い聞かせて昼間の用足しをした。きのうから私は自分で決めたとはいえ行くところがなくなった。行くところもないのに、昼間から桜を見た。これではまるで隠居しているようなものだ。
あ、明日、晴れたら母の墓参に行こう。かあさんは、どうせ反対なんだろうけど。いや、それとも案外好きなようにしなさいと言うだろうか。どのみち、もう母に迷惑をかけることはないので、それだけが救いだ。