角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

牛乳の隙間2。

 
本日は、厳しい寒さの中、4回目の勉強会で日本料理店へ。学校の日本料理の非常勤講師の先生が昨年12月に開業したてのお店だったせいか、今までで一番多い7名参加となった。
若い時分から器に興味があって買いためていたというだけあって、本当にすごい器が続々登場した。同じ料理を提供する場合であってもコースによって器を変えたりもするのだと仰った。我々は御祝儀をかねて最上級のコースにしたので、最上級の器を拝見することができたというわけだ。
 
前職では、毎食150食を采配していたという実力者であり、見せ方、味つけのレベルが違うと思った。
 
ひさびさに会う面々は、みんな大騒ぎすることもなく、ふつうのテンションで淡々としたものだ。
まきちゃんは、年内に結婚する。ますますしっとりといい女になった。
 
今回初参加のサチコさんは、在学中は昼間、厨房仕事をしていて包丁のうまい人なのだけれど、卒業のあたりで転職し、今はホールなのだという。おとなしい人なので嫌じゃないのかなと考えたけれど、仕事は大好きだという。彼女なしには回らないくらいになってると誰かが言った。彼女は気配りのできる真面目な人なのでさぞかし良い仕事をしているのだと思う。
 
店主である先生のことや、みんなのことを考えると、なんだか私は違うんじゃないかという気がしてたまらなくなる。
 
私はサチコさんみたいに気配りもできなければ、第一私は今まで自分のことしか考えた事がないし、私は全然いい人じゃあないから私だって「いいひと」になりたいけれど、どうすればいいか全くわからない。私は意地悪はしないし、陰口もあまり言わないけれど、やっぱりいい人ではないのだ。それはきっと人の気持ちがわからないからだと思うけれど、今まで分からなかったものが、おいそれと分かるようにはならないと思う。

逆の立場になって考えて見る、という手法は分かるし、そういうふうにはしているけれど、だからそこが違うんだってば。「私があなただったら、こうしてほしいと思うと思う」というときの「こうしてほしい」自体がどうもいつも違うようなのだ。
  
ものすごく私、間違ってるかもしれない。何一つ正しいことをしてないかもしれない。
でも、みんなは気づいてないかもしれないけど、それでも私は生きていかなきゃならないし、そのためには内燃するしかない。内燃とは無理を走ることだと思う。
 
みんなと別れて吹雪の中を歩いて帰り、寒いと思いながら部屋で冷たい牛乳を飲んだ。
 
極上料理をいただいてしまったので、次回は少しカジュアルダウンすることに決めた。