角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

私の休みは私のものだ。

 

ひさびさのススキノ。以前の仕事環境で知り合ったデザイナーさんと数年ぶりに会う。店を気にしつつも長居をしてしまったが、帰路につく時間が、蕎麦店からの帰り時間と大差ないのが可笑しかった。
 
29日の休みは勝ち取った休みだ。
それまで私はカレンダー通りに休んでおり、初めの約束で、そのほかに原則として水曜日を休むことにしていた。また月に1回か2回の土曜日の貸切イベント時は出動している。
それで連休についても前もっての打診はせず、当然カレンダー通りと思って会食スケジュールを入れたのだが、28日に、明日は普通で、と言われたのでやや驚き、休んでいいかと尋ねた。
 
自分から休んでいいかと聞いたのはそれが初めてだ。だからそういう意味で勝ち取ったのだけれど、私は休みを勝ち取ったりするのは嫌だ。人から休んでいいと言われたりする筋合いはないのだ。というと生意気至極であるけれど、私はわがままをするつもりではなくて、自由度を高める、つまり主体性をもって日取りを管理するためもあって、無報酬いわゆる、ただ働きを選んだ。
選択肢はなかったので事実上は「選んだ」というわけでなく業界的当たり前を甘受した。
 
勉強させてもらえることは本当にありがたいし、現場でなければ見えないことがある。何よりも動作のスピード感覚は学校や理屈では体感できないものだ。大量の惣菜づくりも大体一度で味付けにOKが出るようになった。頻繁に焼く出汁巻卵もきれいに巻けるようになった。鰊も鯖も家庭では実現できないボリュームを捌くことができた。筍の下処理の仕方も教わった。蕎麦を含めたほとんどの盛付もこなすようになった。とてもありがたいと思っている。
しかしそれらは、勿論廃棄するわけではないから、私の「練習」にとどまるばかりでなく実際に店舗での商材になっているので自分の感覚としてはそれで五分だ。
 
さらにその合間に膨大な洗い物をこなすので、それは特に練習したり勉強するような作業ではないので私個人の感覚として、休みを休むくらいの裁量は充分に補ってあまりある働きだと考えていたし、ただより高いものは無い、と言う言葉を文字通り実践する意味もこめていたので、傍目にはいくら「馬鹿なただ働き」と捉えられていようと、だからこそのアドバンテージを私は常に意識していた。
 
だから休みは店のものではなくて、私のものだ。自分のものを勝ち取るというのは変だ。私は自分が休みたいときに休む決断を実行したい。判断は私がしたいのだ。もちろん熱心に働く性分なのだから、狡猾なことをするとか、サボるとか、遅刻するとか、そういうことを私はしない。ただ正当性を以て、判断をしたいと考える。
 
今まで全く違和感を感じずに、むしろ嬉々として蕎麦店に通っていたことに初めて影がうまれた気がした。私はオヒトヨシであるのでほとんどのことに譲歩するし、29日は出動して欲しいとあらかじめ言われればそうした。そして自分の脳内仮想ポイントを増やすような意識をもったと思う。

一体何が影の気配を運んだのか。

山椒の葉をまた持ってきてくれと頼まれたのが私は嫌だったのだ。私は狭量な女だ。
以前の仕事でも自分から値引きするときは構わないけれど、値引きしてくれと言われるのは逆上しそうなくらいに嫌だった。自分が好意でする分にはいいけれど、好意や善意を強要されるのはかなわない。当たり前のように言われるのは違う。でも気が弱いので、山椒の葉は、もちろんちゃんと持参するけれど。
 
私自身はひとに金品を集ったこともプレゼントをねだったことも皆無だから、仮に双方向のそういう凭れ合いを友情と呼んだり、夫婦愛(!)と呼んだりするのなら、御免被りたい。動作や行為自体を厭わしく思っているのではなく、ただ、言葉が足りないと怒っているのかもしれないけれど、それなら言葉の不適切さや不足で自分が人を傷つけたことはなかったかというと、多分傷つけているので、だからダメなんだろう、私は。
 
気弱なオヒトヨシのふりをしながら、結構気難しい女なのは分かっている。
今後につながることだから、これまでの良い人間関係にかげりなど生じさせたくはないし、腕肩はあれだけれど身体を動かし続けるのが肝要だと思うので、自店開業の寸前まで通うつもりでいたけれど、一方で、何か違和感を思ってしまうようになったとき、それを潮時というのではないかとも考える。
 
とっととハコを決めてしまえばいいのだけれど、前掲のデザイナーさんにも、私が調理師学校に通う行為は、いかにも私らしい、しかし私と料理が全く結びつかない、どんな料理かもイメージできないと言われたので、ではなぜ反対しなかったのかと聞くと、反対を聞き分けるような女か、と笑う。