角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

雪の中しかない。

 

最近、カルディが好きなので、またしても雪の中をカルディへ行って濃厚ショコラを買う。
 
言ってることとやってることが大きく違うことは良くあるけど、前言をさっくりと翻し、私は植物で部屋をいっぱいにしたい。検索すると、ジャングルのような部屋もあって、ドキドキした。部屋を庭のようにしたい。にわにはいま、というよりも、いまにはにわだ。
 
草花よりも観葉植物が好きだ。それも最初から大きくて豪華なのを購入するのではなく、小さいのを育てるのが好きだ。
毎年の秋の終わりに、ベランダの朝顔や野菜のプランターを片づけて通年のものだけを部屋にとりこむ。今、部屋にあるのは、いくつかの鉢植えとチャイブのプランターだけれど、朝の陽がさしこむ時などはあまりにきれいで飽きずにいつまでも見入ってしまう。アボカドが3鉢あって、これは25メートルくらいにも生長するものらしい。せめて天井すれすれまで大きくならないかなと思うけれど、その時には私はいない。
  
ガジュマルは東急ハンズで買った時には鉢底から15㎝くらいだったのが30㎝近くなった。あまり背ばかり伸びると幹が太くならないので、上の方を切って、あおい葉がきれいなので小瓶にさしておいたら根がでてしまい、捨てるのもかわいそうで、季節外れではあるけれど、鉢に植えた。だから昨日は、雪の中をホームセンターまで歩き、土などを買った。
 
私は今現在無職だからといって不貞腐れたり自暴自棄になったり世の中を呪ったりとかはしていない。陽ざしを受けてなんとなく嬉しそうな植物にかなり癒されて、そういう生活をとても好きでいるし、片や旅にも憧れている。
「かけがえのない人生」という言葉を先日ネットでちらりと目にし、月並みな言葉だけれど、少し考え込んでしまった。あと少しの自分の人生をどうすごそうかと考えたのだ。
 
それこそ旅やら習い事などで花の蜜を吸うような暮らし方も楽しいに違いない。一方、身を粉にして働き続ける生活にも価値はある。疲れる、辛いといったって、もう少しの辛抱でそれこそ永久に眠れるのだし。
たとえば「世界が明日終わるとしたら、あなたは今日何をしますか」みたいな問いかけがあるけれど、これから先は、それを毎日突きつけられているようなものだ。
 
何を選ぶのかは、自分の最終章のまとめとして自分がどういう人間だったのか、どういう人間として認識されたいのかを選ぶことだろう。他者の目を意識する必要は全くないのかもしれないけど、自分の人生は自分だけのもののようであって、やっぱり少し違うかなと考えている。自分は自分の全体であり、かつ部分だ。
 
まだちゃんと自分の、こうしたいという意識を確立させられないけれど、多分、学んで進化していこうとする姿勢を可能な限り持ち続けたいと思う。子は親の背中を見て育つというのは事実だし、人は案外人の背中を見ている。
 
雪の中は前の人の背中を見て歩く。