角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

掴めなかった。

 

どうしても、そう、どうしてもトマトソースとパニールチーズのパスタを明日、食べたくて、チーズを作ろうとした。パニールチーズはインド風カッテージチーズとのこと。
牛乳1リットルと生クリーム200ミリリットルを使ったけれど、どういうわけかほとんど凝集せず、漉すと、透き通った乳清ではなくて牛乳色のままだったので、こころからの悔しさと悲しさを以て一気に全部捨てた。軽く死にたくなる。捨てることはないだろうと、思われるかもしれないけれど、ではどうしろと。1200ミリリットルになってレモン汁も塩も入っている混合物を。
もう何度も何度も作っているのに、ときどきこんな失敗をする自分は最低だと真面目に思う。私だって一応リケジョ(笑)のはしくれなのだ。小学生でもできるチーズ作りに失敗するなんて、一体。
 
200回くらい成功してるのに、ここ数か月間で一度も成功しなかったという実験を思い出した。
実験や論文が作為であれ不作為であれ、本人や組織がどうだったにせよ、なんとか細胞の存在はまだ未知だ。今後発見されて再生手法も確立されるのかもしれないし、今後も存在は認められないかもしれない。けれど、そういうことと細胞の存在は全く無関係だ。あるとかないとかを何も知らない我々が口にするのは本当に恥ずかしくてできっこないことなのだ。
それがあんなふうに様々に面白おかしい晒され方をしたのは、あるいは本人や組織の思惑のようなものがそこにあったとしても、とても気分の良くない事態だった。ほりえもんという人がそれについて、とてもすっきりしたことを言っていたのが印象的だった。私もそう思う。~その件で何か罪となりうる事柄があるのなら、それは司法に任せれば良い~と。
 
私は本人の動画やニュースを見たことがない。見てしまうと雰囲気や態度や声などから自分に妙なバイアスがかかるのが嫌だった。
なので、どういうふうな人なのかは知らないけれど、なんだか気の毒なような気がする。自業自得とか税金の無駄遣いとか、そんなことを一体赤の他人がどの口で言うのかと。人間は間違うんじゃないのか。私は間違いをしないという人を全く信用しない。ひとは間違うのだ。その人間性ゆえに。
別に私は擁護したり何か肩入れするような気持ちもないし、なんとなく、とても「大丈夫そうな感じ」は写真から受けたけれど、あのひとはこれからどう生きていくのだろう。
 
と、ひとの心配をする余裕なんか私にはないはずなんだけど。
毎日真剣味に欠けるふらふらした生活をしているのでこちらも随分恥ずかしいことだ。連日の大雪を面白がって雪の中を歩いている。ふっわふわ。
 
彼女の会社の話は断った。

あの展示は好評で、お客様もたくさん来られる。奥の事務所で聞くともなしに聞いていると、ご夫婦で来られたお客様がいて奥様がまあかわいいかわいいかわいいとかわいいを連発なさり、ご主人もほぉとかあぁとか感嘆詞を連発なさり、小一時間ののち数万円のお買いものをなさった。
「この人は買う」というのが最近見ただけで分かるようになったと彼女は言った。ご商売だからそれは全く無問題だけれど、私は「かわいい」って良くわからない。もちろん、かわいいものはかわいいけど、いやもうとにかく、私が感動するセンサーなしってことで、もういいやって感じ。きっと自分だけが良さを分からないひとなんだろうと思う。困ったなあ。
  
あ、えーとカッコよく言うと、生きていくためには私は独りにならなきゃいけない。
断ったあとで、ああ勿体ないと少し思った。チャンスの後ろ髪はないのだった。