角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

売りたかったのは。

 

いちねん振りくらいで、知人の事務所に顔を出した。事務所にショップを併設していて女性の好みそうな器類やアクセサリーなんかも置いてある。プライスラインはお高い設定だ。

打ち合わせの途中で女性二人の来客があり、手織りのショールなどを熱心にご覧になっていた。
知人は商売上手なので、次々と広げては首に結んでさしあげた り、腰に巻いて見せたりしていたけれど、何だか少し似合わない色柄に見えたので、他から選んで「こちらの色がお似合いかと思います」と、何者でもない私が しゃしゃりでて見た。お客様が嬉しそうなお顔になり、購入なさった。

もうおひと方は色めとテクスチュアの違う巻き物2点の間で悩んでおいでだったので、「こちらの方が大変雰囲気にお似合いかと思います」と、なりゆきでしゃしゃり出てみた。こちらのお客様も購入なされた。お二方とも身につけて帰られたので良かったと思う。

それで、知人に「わたし、貢献度高い!」と少し威張ってみたけれど、本当のところはどうだったんだろう。
知人が売りさばきたかったのは、むしろ少し野暮ったい色柄のものではなかったか。
自分がたまに買物をするときに、なんぞこれ、みたいな色柄をすすめられることは今までに数度経験したから、黙っても売れていくようなものよりは、在庫になりそうなものから先に売りたかったのではないか。
目先の2本の織物ではなく、将来の完売を知人は読んでいたのではないだろうか。それは友人としてはちょっといやだけれど、商売人としてならば正しいのかもしれない。
そんなことを大通公園をぶらぶら歩きながら考えた。
いずれにしても自分は商売に向いていないことが分かったし、いろいろ試してみて1つも購入しなかったので、私は消費者にも向いていないかもしれない。


そういえば、今朝読んだ記事だが、食品という消費財は「探索財」「経験財」「信用財」に分類できるそうだ。

探索財というのは、消費者が購入前に危害要因を識別できるもので、かびの生えたグレープフルーツなどは、あらかじめ購入しないことができる。

経験財というのは、消費者が購入後一定時間の後その特徴を把握できるもので、たとえば包装の絵とは似ても似つかなかった場合などで、次回の購入をしないという決定ができる。

しかし信用財というのは含有栄養素、残留農薬、山形牛か神戸牛かなど、購入・消費後においても一般消費者が判断できないもの、安全性などの検証ができないものが、これにあたるという。

ところがその信用財食品については消費者が判断できなくても、企業の方では事実を把握しているから、そこに食をめぐる問題が生じ、それを「情報の非対称性」と言うのだと書いてあった。

私は先日、日記に書いたと思うけれど、もしかしたら消した日記だったかもしれないけれど、正しい数値、事実の開示をされても判断できないと書いた。ニュアンスは少し違うけれど、ここで言う「情報の非対称性」ととても近いことを言いたかったので、自分が言葉を尽くさずともすでにそういう言葉があったのだと驚く。当たり前だけど。

この記事は食についての関係省庁の不作為の作為は深刻な問題であるから食の安全について徹底的に議論し政治主導で進めるべきであると結んでいるけれど、他の事例に置き換えて読んでも通じる部分があると思った。

さらに別サイトの記事では、「校庭等の空間線量3.8マイクロシーベルト/毎時の学校の児童生徒等の生活パターンから推定される児童生徒等が受ける実際の 積算線量の試算について」という文科省の出した文章に内部被爆に関わる試算が一行もないことを激しく糾弾していた。飲料水・食料・給食などといった体内に とりこまれる危険性を勘定に入れない試算は欠落していると書いてある。

読んでいて、二つがどうしても重なってしまったので、とりいそぎ書いてみた。

私は、誰に、どんな色合いや形が適切であるかを判断することができるけれど、自分の現実についてはあまり適切な判断ができてないと思った。