角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

梅は咲いたか。

  
朝からひどい天気。ビルも何も見えなくなった。それほど気温が低くないので余計に荒れる。
日照がないときは部屋で小豆を炊くのが一番だ。香りに落ち着くし、部屋もあたたまる。
 
包丁を研いでいたら店長から電話が入り、昼の客入りも大したことがなかったし、行き帰りが大変だから休めとのこと。それで、小学生のように休んだ。
帽子を被れば良いだけだし、徒歩なので所要時間も変わらないから、そんなに大げさなことではないのだけれど。
 
本州でもひどく降ったところがある模様。我々には、よほどのことがない限り、降雪は災害ではなくて「気候」だけれど、事前の対策がないところではまさに災害化していると思われる。
少しの積雪だからといって水やお湯を撒いたりするのは、二次三次の事故につながるので危険だ。
 
自分のところは雪は降るけれど、地震らしい揺れを感じることも滅多になく、水害もなく、安全や安心について鈍感になっている気がする。どこにいたって何か不意の災害に見舞われない保証はないし、鈍感さが慢心になって、対策すべきことを何も考えなかったりする事態にもなるから、どこのまちがいい、ということもあまりないのかもしれない。
ただ東京についてはみんなが言うように少し脆弱だ。決して慢心できるような地域ではないのだから、異常気象が常態化する想定のもとに雪対策もあってしかるべきだろう。坂が多いから雪で本当にこわい思いをなさっている人もいるに違いない。それにどうしたって水分の多いべたつく雪だから、仮にうまいこと運転できたとしてもミラーに着雪して後ろがみえなくなる。自分が運転していた時は信号機に着雪して何だか分からなくなったこともある。信号機自体も真っ白になっていて気づくのが遅れた。
 
いつも思うのだけれど、自動ブレーキは雪道にも有効なのだろうか。私はそうはとても思えない。止まろうと思ってブレーキを踏んでも制動しなくなるのが雪道だ。だから自分が歩行者として冬の交差点をわたるときは、車が完全に止まるのを見てからでないと少しこわい。それで冬の道はなまじ黄色信号で急なブレーキを踏んで止まろうとするよりも、そのまんま突っ切った方が安全な場合もある。プレーキの踏み方も距離感も通常路面とは違う。
  
しかし、雪はいい。あれほど寒いのは嫌だ、移住したいとか言いながら、そして何十回も冬を過ごしても、目を反らしがたいものがある。美唄市にあるアルテピアッツァを冬に訪れたこともあるけれど、冬の方がいい、と感じた。雪が降ると、美唄まで行かずともそこらへんのたよりない立木ですら美しい。
願わくば花のもとにて、と西行法師は詠んだ。自分は、雪、ということになるんだろうか。特に願いはしないけれど5か月くらいは雪環境なので、確率は高そうだ。