角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

温泉に行こうとして、

 

事故を起こした。
 
札幌は積雪がなかったが、R231を北に向かうに従い、路面はザクザクの雪状態で、車がガタガタと音をたてたので、冬タイヤではあったけれど、緊張しつつ低速で運転していた。
峠道なので右側は切り立ったほうの、左は落ちる方の崖だった。
 
直線部分だったのでハンドル操作はしていなかったが、急に、地震の時はこんなだろうという嫌な感じで車が持ち上がり、対向車線に向かって滑り出した。ハンドルを左に切ると、当たり前だが左に滑り、ガードロープに突っ込んだ。
 
弾かれて滑りまくり、対向に車が見えなかったので、右側に積もった雪山に突っ込んで停めた。
 
停まった直後に対向からトラックがやってきたので、強運だと思った。
完全に単独の自損事故だったので、誰にも迷惑をかけることがなくて幸いした。
 
エンジンとブレーキが大丈夫だったという意味では、自走ができたし、自走して最寄の交番に出頭したけれど、ウインカーも壊れてしまったので、手信号で帰るのも寒くて嫌だと思い、積載車に乗せてもらった。
手信号というのは、こういうシーンで使うものなのだと、ようやく理解した。
 
 
ガードと空が目の前に見えたときは、死ぬんだなと思った。ずいぶん簡単なんだな、と感じた。速度を出していたら、ガードロープを乗り越えたり突き破ったりすることもあるのかもしれないし、転がって炎上するかもしれないし、周囲に車がいたら、大惨事になっていたかもしれない。
 
どうするのが最適の行動だったのかと考えた。
前後に車が見えなかったのだから、ハンドルをとられた時点でそのまま滑り通して雪山に突っ込むのが最短距離で、良かったのかと思う。
 
あるいはガードロープに弾かれた時点で、なりゆきにあまり逆らわず蛇行しつつ体制を整えるのがよかったかとも思う。しかし、左手に日本海の荒波が見えて怖くて右に切ってしまった。
 
昔、水泳のインストラクターの人が、運動神経が良い、ということは自分の足が今、水を打ったとか、手がどこにあるとか、自分の動作を意識できるということだと教えてくれた。初心者の時分には夢中になって泳いでいて分からなかったことが、練習するうちに意識できるようになるのが面白かった。
 
雪山にはまっている時に、さて、自分の足は何をしているだろうと見ると、ブレーキを踏んでいなかったので驚愕した。自分の足が咄嗟のときに何をしていたのか私は全く覚えていないので、まだまだ未熟だ。
 
積載車の人は、運転の巧遅に関わらず、滑る時は滑るとおっしゃってくれた。
その時、私は重大なことに気がついた。
FRのままだった。4WDに切り替えるのを失念していた。途中で給油したときに切り替えておけば無事だったのかもしれない。
 
路面状況とか運の良しあしのみならず、ミスの原因というのは必ず自分の側にもあるものだと思う。
 
 
 
雪山に突っ込んだきり、困ったなあと考えていると、後ろからきた車が停まり、車を脱出させてくれ、さらに目が飛び出たかのように配線1本くらいでぷらぷらしている前照灯の手当てをしてくれたりした。
 
大変ご親切をいただいた方に、のちほどあらためて御礼を申し上げたくて、車の番号を控えたけれど、そう簡単には調べられないうえ、ネットでみると、いかに善意の調査であっても、住所や名前を調べられたりするのは良い気持ちはしないとあったので、それもそうかと納得。
 
宮城ナンバーの××03のベンツの方が、これを読んでいるはずもないけれど、本当にありがとうございました。御礼にかえて、困っている人や車がいたら、自分にできることをしようと思います。