角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

年末年始を指標する。

 

わたしの事務所があるビルは30日ともなればどこも年末休暇に入られたらしく、集中暖房も止まり、つまりビル内で生存反応をするのは二足歩行者としては自分だけという夜だった。

早朝から車で出歩き、半日が過ぎる。仕事も終われないまま、すこしだけ掃除を。ゴミを集めながら激しく私はピカチュウを考えていた。
いや、正しくは、光で始まる漢字二文字のピカチュウと読ませる名前をあてがわれた人間の男について考えていた。

男の名前がピカチュウだった場合を、それは激しく考えてゴミを集めていたんだ。ベッドの上で「あ」とか「ん」とか連発しながら、さても頂点の時、ほとばしる極みに、

ピッカ~!

と絶叫

なんかしないわフツー。

 

年末に来て、頭がこじれたみたいだ自分。

寒かったのでスカートの上からおもむろにスキーパンツをはいて、帽子をかぶり怪しい夜の掃除をしたからといって、いつか報われるとは思えないけどとにかく年末が明けると年始になった。


2009年に引き続き、私は冷蔵庫が嫌いだ。いや、正しくは、冷蔵庫を何かで満杯にするのが「どちらかといえば大嫌い」(笑)だ。

冷蔵庫の中にあるのは、食べたい食べ物ではなくて買いたかった食べ物だ。私が冷蔵庫を開けると、食べたい食べ物ではなくて処分待ちの食べ物が入っている。この温度差が嫌いだ。というと冷蔵庫は多分困り狂うんだろな。

私たちは冷蔵庫に生かされていて、血色と平熱を維持し、満面の希望に満ち、ひまわりの如く、腐敗方向に顔を向けて生きる。

あさってのさようならのために、私たちは明日、健在してなきゃならない。

5年前私はゼロだったのだが、虚のテキストを書き殴り、言えない言葉を行間に積み増した。
私には書きたいことがあった。それはいまもあるはずなんだけど「5年も生存されて見ろよ。」と自分のバカテキストの因縁にタコ殴りに合う。

私は毎日冷蔵庫に頭を突っ込んで栄養素と熱量を摂取し、私が産んだ言葉をあたためあたためて、誠実に思い上がった。「ゼロに戻せよ。デフォに戻せよ。」あたためると暴れる粗野の言葉だ。
帰る場所もなくて暴れてあばらを折るふとどきの言葉だ。

だから描くな、疎の軌跡。

2010年もそんなわけで、すてきな年になるに違いないと思う。

謹賀新年。