角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

パラレル

 

どうでもいいけど「歩くスキー」っていうのは、「飲むヨーグルト」とか「食べるラー油」みたいで、うっとうしい。アルペンスキーに対してクロスカントリースキーと言うらしいが、先週土曜日に前田森林公園で、歩くスキーを。汗をかいたので帰りに銭湯に寄る。

楽しかったので、日曜日はモエレ沼公園で。やはり汗をかいたので帰りに豊平区の温水プールで久々泳ぎ、その後、近くの宮田屋珈琲でゆっくりしてから吹雪の中を帰宅。

自分は膝が首なので、夏場の陸(おか)の衝撃には耐えられず、跳んだり跳ねたりはできないが、雪の時期は一年中で一番、膝的には楽なものだから、冬のうちに膝メンテを兼ねて、少し筋力をつけようと計画。

初心者なので先行者のスキーの溝をなぞるだけだが、下手でもトレーニング効果はあるので無問題。
林を周回していると、パキと音を立てて折れた梢が雪に突きささる。枝に積もった雪の重みに耐えかねたのだが、良くみると、そのように折れた枝が何本も雪にささっていて、確信は持てないけれど、自然界ではそういうふうにして次世代林が成り立っていくのではないかと思った。実際に目の当たりにするまで、そういうことを分からなかった。私には分からないことがたくさんあるけれど、ゆっくりと人並みになるので、百歳まで生きるからね、とバイト1号君にyrskと書いてメールしたら、返事がこなかった。

何度か書いたことだけれど、私は自転車に乗る夢を見、泳ぐ夢を見、自動車を運転する夢をみては、それを実現した。そしてこの前まで他人事として遠くでみていた「歩くスキー」をする人の中に私がいる。
誰にも頼らずに私が私をここに運んだ。
 
私は専業主婦だった期間が妊娠中を含むほんの数か月しかなく、あとはずっと仕事ばかりしているので、そのせいだと思うけれど、例えば口紅なんかを夫のお金で買う、自分の服を買ってもらう、という感覚に大きな違和感があり、たぶん一度もそういうことをしたことがないと思う。そんな記憶がない。
 
今でも、家庭のしくみとか、ひとさまの事情は理解しているけれど、違和感はなくならない。
私は良い母親ではなかったが、機嫌の良い母親だった。自分が働いて、生活をすることは当たり前であり、当たり前に思えることが誇りだった。私は忙しくて有頂天だった。
 
だが、私よりもやや年長の知人が、友人の事務所の会計を手伝うというので、簿記を知っているかとたずねたとき彼女は大変心外そうに、そんなものは知らないと言った。彼女にとっては働いたことがないというのが誇りなのだ。
かたや年若い知人は、子供のころから自宅に複数のお手伝いさんがいたといい、結婚して初めてスーパーの買い物で値札を見る事を覚えたという。目下の関心事はおなかの赤ちゃんをどこの病院で産もうかということと、年若い自分の夫が、将来自分の両親のように、なんとかクラブに所属できるだろうかということだ。
たまにパートで働くことは、苦労ごっこのようで、彼女の逆方向の誇りになっている。
 
私がしてきたことは、このひとたちには無価値なばかりか、自らが働いて収入を得ることは貧乏くさくて下品なことなのだ。
私は間違ったのかもしれない。私は間違って生きてきたのかもしれない。私は分からない。私は何か悪質なところに生まれ育ち、悪質な考えに冒され、悪質な価値観を育てたかもしれない。私は悪質なのか。
 

雪というのは、かつて温床であると思っていた。積雪野原の下のどこからでも芽吹き息吹くことができて、さあどこから生まれてやろうかという期待の温床であると思っていた。

しかし、バラの新芽はバラの梢にしか芽吹かず、紅辛夷は紅辛夷の根の上でしか満開しない。春は春のあった場所でしか春足りえない。
  
私は雪を見ようとするが、雲なのか空なのか雪なのか、一面の白一色のどこを見れば良いというのだ。
私の歩く下に春はあるか。いのちはあるか。何度生まれても私は私を繰り返す。私が私である限り、私が私であること自体が、私を撓ませる雪の重さだ。私は並行世界に焦がれている。並行世界で、折れた私のいのちを拾ってほしいのだ。
 
北国生まれの私はスキーが下手でパラレルができずに転んでしまう、空の白。