角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

母ひさびさ。

 

お礼参り、というわけでもないだろうけど、頭大仏のついでに母をたずねたら、2日くらい後に母が夢に現れて曰く、「ここに住むことにした。」と。やれやれと、親不孝者の私はとっさに思う。それでも何かしら気にしていたことを夢の中で母親に謝ることができて、良かった。気休めにすぎないとはいえ。
 
連休のいちにちは、息子が来訪。私ははりきってご飯をつくるけれど、毎度毎度、料理というのは気合を入れれば入れるほど思うような出来上がりにならないのはなぜなんだろう。いつもより少し良い素材、少し良い調味料、少しまじめな包丁、等々気を使えば使うほど、気づかいのほどをあまり感じさせない皿になって、一気に落胆する。

旬の筍でグラタンを作ってみた。別に失敗するわけではないので、おいしいのだけれど、いまいちなのだった。で、息子が帰ったあとで余った姫皮なんかも全部使って炊いた筍ご飯がとても美味しく、大体いつもこんなふうにささっと作る方がずっと美味しいものができてしまい、お互いに不憫なことだ。
 
結婚していたときは、凄まじく忙しい時期であり、かつ夫が食べられる食材や味付けがきわめて少なかったから、きちんとご飯を作ることなどなかった。当時の幼児もほとんど店屋物の蕎麦系統で育ったようなものだ。夫の借金を早く完済したかったこともあり、睡眠時間が3時間とかそんな感じの働き方をしていたので、食生活はでたらめだった。
完済しても、後にまたもっと盛大な借金ができたので、なかなか人のありようは変わらない。
母と暮らしたほんの短い期間も、もっと母の口に合うようなものを作れば良かったと今更思う。
結局のところ、私は自分の口を楽しませることしかできていないのではないか。
  
おかげさまで食欲は健全なので、自分の好きなものを好きなように作ってはいる。だから外食したいともあまり思わない。むしろ一汁一菜のごとく、きわめてシンプルにしたいと考えている。
 
ところが食費の方はそうはいかない。
毎回、一定額をカードにチャージしてから買物をする。以前ならその6割、7割くらいで済んだものが、どうもこのところチャージ額すれすれになってしまう。よく考え、おそらく食品は値上がっているのだと結論した。
 
遅きに失したとはいえ、数年前に、今まで気にとめていなかった生活費を把握するためにシンプルな家計簿をつけだした。月々の生活費から95歳ゴールで老後シミュレーションをした。病気・入院費用は一切考慮していないし、インフレな事態は考えても分からないので、考慮していない。好きなように旅行にも行く。そうするとゴールはだんだん、95歳といわず身近に迫ってくるし、各種値上がりはそれに拍車をかけるに違いない。自分の場合は経済力が余命を決める。のん気な物言いに聞こえるかもしれないけれど、そうではなくて、これは事実だ。うまく言えないけど、企業で言うなら、売り上げ拡大施策か、節約施策か、という違いなのだと考えている。
 
話を戻すと、私はあさごはんが一日の食事で一番好きなのだけれど、とはいうものの昼も夜も好きなのだけれど、毎食を美味しく清々しくいただく秘訣というかコツというか、は「やたらと食べないこと」なのだった。