角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

ぴん。

 
先週だったか、古い知り合いとお茶を飲んで、ひょんなことから麻雀の話になったとき、私の元夫が麻雀のプロもどきだったのではないかと聞かれた。どうしてそんなことが分かるんだと訪ねると、どう見たって根っからの博打うちに見えると言った。
 
実際はどうだったかというと、年末は仕事仲間と雀卓を囲んで新年を迎えるのが恒例だったと聞いたことがある。この頃はまだ私と知りあっていず、別なご家庭を持っていた。

そういう経緯もあって、結婚してからも、大事なものが入っているらしい背広のポケットに手を入れたことがなく、かなり大きな交通事故を起こした時にはじめてポケットのものを出してみると、競馬専用の通帳だった。
ネットのない時代のことだ。
こどもは離乳食の頃だった。
事故のせいで、滞った返済のために、民間金融機関からの督促も受けた。1社だけではなかった。
 
元夫は実家から勘当を申し渡されており、私の方は父親が入院生活のプロだったため、母に言えなかったし、言う必要もなく、借金はOL時代の貯金で全額支払った。
 
けれど、借金癖というのは治らないものだ。ギャンブル嗜好も治らない。
ギャンブルが好きなのだから、「治そう・やめよう」などと微塵も本人は思わないものだ。大勝して借金を返済するために、賭博する。勝てば勝ったで、それは、もっと大きな勝負のための資金になる。
 
新車で購入した自家用車が、いつの間にかなくなったこともある。聞くと、友達に貸したと言った。車は二度と戻ってこなかった。すすきのでカード賭博が摘発されたことがあって、逮捕された中にはサラリーマンもいた、と新聞記事になったが、その場所にも出入りしていたらしく、そのあたりで見たと仕事関係者から知らされたこともある。
 
そこから数年経って、端緒は私にあったことなのだけれど、癖(へき)は過剰に復活することとなった。
分不相応には必ずこわい目が待っている。日々の生活で一杯一杯な細々の零細自営の経済力では、あっというまに行き過ぎ、戻ってこれないくらい行き過ぎる。
 
まず理性を失う。
ひどく不思議だったのは、あちこちから借りに借り、滞っても滞っても、働こう、労働して返そうとは絶対に思わない、ということだ。借りる人は次々借りる。仕事をすべき陽のあたる時間帯に、どこから借りようかと焼けつくように考えている。精勤すべき時間帯に金策用の書類をこさえて走り回る。
どうにも度を越しすぎると、夜となく昼となく、こわい人が現れて扉をたたく。貼り紙を貼る。部屋の前で暴言を吐く。
 
その頃はすでに離婚していたとはいえ、その後も数年くらいは一緒に仕事をしていて、一応会社の形骸だけは保っていたから、急ぎの用事があって、事務所の上にある、独り住まいの部屋に呼び出しにいくと、何らの応答もなく、鍵を開けると本人は明け方に帰ってきてから眠っていないようで、ベッドの上に腰をかけ、何をしていたかというと、当時流行していた、ポケットゲームのような、いわゆる落ち物ゲームをこちらを一顧だにせず、蒼白な顔で一心不乱に延々と続けていた。声をかけても反応がなかったりした。部屋の中は空き缶空き瓶で足の踏み場もなく、何よりも表情が消えていたのが本当にこわかった。
この部屋にはロープをかける梁がない、とぼんやりと言った。
 
口には出さなかったけれど、勝手にすればいいと思ったし、あの車両事故の時に終わっていればどちらも幸福だったんだと思った。汚部屋では大家さんに申し訳ないので、部屋の空き缶類を片づける時、小学生の息子を連れて行ってしまい、息子にあんな部屋を見せたのは間違いだったかなと悔んだ。尤も子どもは「すごかったね~」とか言って気にも留めてないようだったが。
 
 
岡本おさみ作詞の「みやげにもらったサイコロふたつ手の中でふれば、また振り出しに戻る旅に陽が沈んでゆく」というくだりのある吉田拓郎の「落陽」が彼の好きな曲だったのには笑える。

そういう、持ち崩す人生を生きたかったのかもしれないと今はなんとなく分かるので、いろいろ全部本望なのではないか。生きているのか死んでいるのか分からないけど。
 
身の回りでも、人との関係においても、極めて超然とした感じは、それは頭の中が私たちとは違うもので埋まっていたせいだと後から気がついた。
私と結婚したとき、自分には博才があると思ったんだろうか。あるいはそれは離婚のときだったかもしれない。
 
家庭を持ってはいけないタイプの人間というのはいるものだと思う。
 
博打うちは家庭を持つべきではないのだ。

幸福にしてもらおうだなんて、たかりのような根性で私は結婚したわけではないけれど、そもそも博打好きは平凡を希求しないから、日常生活とは沿わないところに自分の理想世界を持っている。どんなに心を砕こうと、美味しいごはんを作ろうと、それとは別の次元で生きている。
家庭をないがしろにしたり、子どもをかわいがったりしない、ということでは全然なくて、そうではなくて、そういう日常生活に足がついていず、あちらの世界がリアルであって、こちら側がむしろ虚構であるかのような感じが寒々とするのだった。
 
私は、とにかく働けば何とかなると、マイナスから結婚生活をはじめたようなところがあるけれど、心ここにあらずさすらうギャンブラーにとって、働いて何とかする生活、ということ自体心躍るものではなかったようだ。
 
自分には昔気質の気丈な母がいたし、文字通り無垢な幼児がいたし、体力もあった頃なので、あまり眠らずとも働けた。冷淡なうえに、私は忘れっぽいので、いささかも自分に陰を落としてはいないけれど、それは、彼にとってずいぶん酷い話しなんだろうと思う。
 
堕ちていった原因の半分は自分にある。だから、ひとなみに幸福になるのはいけないと考え続けていたが、それでも、ああ幸せになりたいなあと思ったりする。
今が不幸だということではないけれど、谷と山を繰り返すものならば、できれば谷底で一生を終えたくはないと思う。けれど、問題はそこではなくて、何がどうなったら幸福なのか分からないから、幸福の形を描けないということが私の問題だ。
 
前にもどこかでこんな文章を書いた気がして、なんだかしつこくてこれみよがしなのは嫌だけれど、この先どんなふうになったって、遠くに行きたがる遺伝子に体を提供する舟として「私にふられた『人生』を生きる私」を文字通り演じ切る。みんなが舟だと考えると、そんなに憂うことなんかなくなる。あなたも役割なら、誰でもが役割だ。