角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

滴。

 

早番の前日は目覚ましを二つかけて眠るけれど、それでも緊張のせいか度々目を覚ましては時計を確認する。
こま切れの眠りの中で、好きな人の夢を見た。こわい夢だった気がするけれど、私の手を握りしめてくれた。意外にもあたたかな、あたたかな掌だった。
 
昼に帰宅して、ぶどうとりんごのジュースを搾る。容器を外してタオルをあてがうと白いタオルを滴が赤く染めた。
 
 
何十年も前の、新卒で入った会社のことをどうして思い出したんだろう。
 
Kちゃんは同期の人だ。18かそこらだった。仕事をまじめにこなす良い女の子だったと思う。子犬のような愛らしい性格で、たくさんいた同期の中でも仲が良い方だった。
 
彼女の部署に毎日のようにやってくる営業の人がいて、Kちゃんは、あの人が好きだと言うようになった。といってもそんなに真剣な話ではなくて「オジサン、かわいい!」というようなノリだった。
オジサンというのは、40過ぎくらいの少し気の弱そうな生真面目そうな人だった。
 
私の方はすぐに寿退社をし、Kちゃんともそれきり合わなくなり、その後10年も経ったかあるいは5年くらいだったか忘れたけれど、他の同期の子たちと会った時に、Kちゃんの噂を聞いた。
あまりはっきりとは言わなかったけれど、件のオジサンとどうにかなったのだと分かった。Kちゃんは巨乳だった。
 
この話の顛末は知らない。けれど多分、同期の子たちの口ぶりから、この1件だけではないだろうと私は確信している。

何しろ彼女は子犬のようであった。「あの人が好き」という対象が、やはり中年男性だったけれど「オジサンが好き」と言ってるのと同じ時期(ここ重要)に社内にいたし、女の子は、覚えてしまうと自分の力や、相手の力を試したくなるんだろう。
 
ありがちなこの手の話は、私の知る限り全て女が誘っている。既婚女性もいた。
失うものはいずれの場合も多分男性の方が大きかったのではないかと思う。平気なのは女性だ。
 
ひとは五十歩百歩でそんなものかなと思う。実際、そこに尽きるのかもしれないと考える。私だけは、そんなことはしない。とも言いきれないけれど、仕事を常に優先してきた自分が、偉いわけでもない。それを不満に思うこどもがいたかもしれないし、こどもを不憫に思う祖母がいたかもしれないのだから、私はずっとこどものために仕事をしてきましただなんて、偉そうに言うことじゃあない。そんなことは少しも偉くないし、むしろ一人よがりだったのではないだろうか。
  
 
先日行ったプールでは、ウォーキングコースの隣に浅いプールがあって、ひたすら私が歩いていると隣のコースにいた小さい男の子が、「パパだっこして」と当たり前のように、普通に、何の屈託も、躊躇いもなく言ったので、私はものすごくびっくりしてしまった。
私の息子がのぞんでいたのは、私が無我夢中で働くことではなくて、お父さんのいる家だったのかもしれない。ああもちろん、ギャンブルに魂を持ってかれたり、取り立ての人がやってこないタイプの。