角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

パーティーの陰の隙間で。

 

すくすく育つシダ類やバオバブや、こないだ植えた「野原の種」が芽をだしたことや、それから5粒植えた朝顔が5つの双葉になって、支柱を立てなきゃいけないことや、それから円山公園のカモにヒナが誕生するかもしれないこととか、出雲の温泉のこととか、東京にいる人のこととか、あらん限りの力で、自分が好きなことを一生懸命考えた。
 
そのくらいパーティーは嫌だった。自分が参加したわけではないけれど、私は鍋やらまな板やらものすごい大荷物を、飲食店行動でやってたみたいに、ガラガラ引っぱって歩いていって、引きずるように帰ってきた。
 
ひとり1000円予算のケータリング料理に、お酒とワインとビールをたくさん用意して、それから今が旬のアスパラを1キロばかり茹でたり炒めたりして、あとは果物を少しお出しした。30から40人は集まったと思う。私はアスパラ係とパイナップル係を兼務し、そののち、作家の作品をパーティ什器として別途借りて料理を盛り付けていたのだけれど、その漆の箱を洗う栄光的昇進を果たした。で無為の時間は給湯室のすみっこやバックヤードの資材のすきまにGよろしく息をひそめて眉もひそめて生息したのだ。夜遅くまで。
 
飲食経験のある人なら、たいていそうではないかと思うけれど、作った料理を食したりしない。だからその間私が口にしたのは、ゆで加減と塩加減を見るために2切れくらいのアスパラをつまんだだけだったので、水くらいは飲んでおけばよかったと思う。
 
そういえば今回の展示に迫力をだすためか、内田鋼一と言う人の大きな立礼式点前の卓と椅子一式を購入した。
 
この人もものすごく有名で大人気の人らしい。他の作品は知らないけど、全体が錆っぽい鉄でできていて、茶器に傷がつきそうだし、お茶が不味くなりそうだ。ギャラリーはただの白塗なので、ちっとも似合わなくて、開梱して、げらげら笑って嫌な顔をされた。大層高額だ。100近い。ええ、私にはさっぱり分かりませんとも。
 
で、パーティはともかく、肝心の器はどうだったかというと、いいですよ。

というか、私には良いものかどうか心の底から分からない。やれ、あたたかみが、やさしさが、生命力が、とか言ったって、実際にそういう言葉を連ねてプレスリリースやあいさつの文章は書いたけれど、ああ、そうか、私はパーティのひとたちの嘘っぽさが嫌いだといいながら、自分も嘘を書いているのだ。

別にいやな作品であるとかそんなことは全くなくて好きなものもたくさんあったけれど、それが他の人の作品や、もっと恐れずに書くとメラミン樹脂の製品と置き換わったとしても、私は分からないくせに、そんな惹句を書いているのだ。

これはもしかしたらG以下かもしれない。すくなくともGは嘘をついたりしない。カサコソと歩きまわったり飛んだりするだけなんでしょ?
私はGを見たことがないので、まちで出会っても分からないのだけれど。