角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

飽きる。

 

残念ながら本日中に荷物は到着しなかった。その代わり奥様からリストが届く。たいていのギャラリーでは2000万くらいの商品になると聞いていたけれど、ギャラ社は小さいので、それでも軽く作品上代の総額が1000万を超えた。緊張して配備につく感じかな。
 
仕事で書かなきゃいけない文章は何一つ頭に浮かんでもいない。

まだアートフルな職場環境に身を置いてから数カ月しか経っていないけれど、そのうえそれを自分の最終面にしようとも考えていないけれど、会社にある茶碗が作家作品だったり、何かしらの作品がそこらへんにあったり、絵画やポスターがあったり、美術の本があったりする中にいると、どういうものかそういう美の世界がうっとうしく感じられることがある。
 
きっと私はアートにそぐわしくないのだと思う。デザインだらけなのが素敵であると同時に時にうるさくてわずらわしくなる。どんな器で食べようといいじゃないかと思うようになる。健康を気遣った食事に飽き飽きして時々コンビニのやたら塩っ辛い出来合い惣菜を口にしたくなるように。
 
私は、家に居てしみじみとヒカゲヘゴの傍らに座って、私はずっとヒカゲヘゴに側にいて欲しいと祈るように思ったら、なんだか泣きそうになった。ヒカゲヘゴはあたたかく湿り気のあるところが好きだ。私は気に入られようと朝と晩に霧吹きをする。まめに水やりもする。いつかみた奄美の森が私は大好きだったのだ。ふるさとでもない森を。私はこのままこの部屋にいて、ヒカゲヘゴが大きくなるのを見守って、私が枯れてゆくのを見守られたくて、それで十分幸福だと思う。なにものでなく、ひとかどでなく、どこかなつかしくなんかなく、なんでもない私と鳥とか緑とかで私の世界は十分に幸福だ。
 
なんていうか、分かってもらえるかなあ。結局ギャラリーというのは身体を動かす仕事としては面白いけれど、どうしたって商売なのだから金銭価値を生じさせる評価の基準というものがあって、絵画は誰のものにもならないのは、この間も書いたけれど、私やあなたが、誰かのものでないように、絵画も誰のものにもならないのに、それでも心だけどこかに置いてみすぎよすぎに買われていく。というところに盛大に疲労してしまう。
私が植物を好きだとしても、そういうことを、例えば苗を作って売る仕事をしたとすると、やはり売りや買いの手段におとしめるというところで疲労するのではないかと思う。
 
羊歯や苔やマングローブや湿地が好きだ。私はヤシガニだったかもしれない。