角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

くうかい。

 
タンカンは屋久島や奄美、沖縄で作られている柑橘で、数多くの種類のあるかんきつ類・ミカン類の中でもかなり濃厚でメリハリのある味わいを持つもので、見てくれは不味いけれど、味は極めて美味しい。ところがあたりはずれというのもずいぶんあって、外れに当たるとさっぱり、ということがある。種が多いだけに残念感でいっぱいになる。
 
そういうのをママレードにすると甘味が補てんされるから、とても美味しいものができる。そのタンカンのママレードが残りわずかで、こういうのを名残惜しいというのだろうと思った。来年も作れたら良いのだけれど。
 
私は時々倒れそうになりながらも仕事をしていて、時給といえども社員の人を超えてしまう程度に今月は働いた。私は今まで言ってみればイラストレーターとエクセルで暮しを立てていたので、また元に戻った気がする。家に帰れば夫がいるというような働き手と仕事をシェアしながらやっていく、という気持ちはさらさらなく、次の企画展の、ギャラリーに掲出する文章もしゅふライターさんを差し置いて私が書くことにした。文章力が落ちているので、ぎりぎりまでひっぱることにしたい。
 
ぎりぎりといえば、25日から開催する作家の人と連絡がずっととれずに事務所中がいらいらしていた。フェイスブックで本人の動向を確認すると国内のあちこちにいたりする。電話をしてもとってもらえず、メールを打てども返事がなく、いや実際には返事がそっこーで返ってくるらしいのだけれど、内容が仕事ではなくて、札幌で行きたい寿司屋やイタリアンの店のリストだったそうだ。
ギャラ社には展示什器がなく、発注はしているのだけれど、送られてくる作品も、数量も何もわからず大変に焦っていた。焦っていたのは主に私だけれど。
 
作品が送られてきたら、検収や値付け、販売手法を決めることや、管理の方法や、包装のことなど展示の前にすることはたくさんあるのだけれど、何一つ本人と確認がとれずに困り切っていたのだった。開催初日の夜はオープニングパーティもあるというのに。
本日やっと本人から電話があり、一同少しほっとした。私は図書館から借りた彼の本にまだ3冊しか目を通していない。
 
オープングパーティに私は出ないことを強く表明した。前日の設営は私も参加するし、パーティの後始末ならするけれど、そういうのは嫌いだ。設営の方がずっと楽しい。若い世代に少しずつそういうことは譲っていかなければならないと私は考えている。というか、嫌いだ、そういうの、どう考えても。
 
私は、その作家の人の本を読んだりして思ったのだけれど、自分が好きだと思うことにもっと誠実でなきゃいけない。自分の好きなものを恐れず追求すること、そんなに時間がたくさんあるわけではないのだから、好きなことだけ追いかけたいと考えた。もちろん仕事的には、苦手なこともしなきゃいけないけれど。
 
そんなこんなでちょうど忙しいあたりに、専門学校の時の仲間との食事会があって、迷いながらも今回は欠席にした。そうしたら年金氏からメールがきて、細々でも勉強会の灯は消さないでいましょうとあった。さらに加えて、高野山では今も毎日、空海のために食事を運んでいますと書かれてあったので爆笑した。
 
あした、第一陣の作品が届く予定。