角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

ガラクタになるまで。

 

ギャラ社はクラフトの店も持っているし工芸の催事も運営するので、大勢の作家さんたちと関わっている。なかなか自立できにくい作家さんらを応援するため、というのも会社を作った動機の一つであるらしい。
 
店にある作品には良いものが多いので、以前はいくつか購入したこともある。好きな作家がいて、その人のは二つくらいは持ってるかもしれない。
もう結構年配な、その彼女が泣いていたそうだ。もう自分はだめなのではないか、もうこれまでなのではないか、と。
 
作品があまり売れなくなってきたし、大きな企画展に声がかからなかったり、陶芸は体力を使うから年齢のせいで疲れやすくもなったし、とすっかり落ち込んでいたそうだ。

気持ちが良く分かるのでかわいそうになった。直接お目にかかったことはないけれど、何か励ましてあげられたらいいと思った。でも彼女はもう十分にお金持ちになっていて、先日も3週間パリ滞在とか、あの人たちの間でパリは流行っているようだ。なので、わたしごときに何かを言われるなんて、ある意味心外だと思うかもしれないと思ったら、ばかばかしくなったけれど、それでも、何か言ってあげられるとしたらどんなことなんだろうと考えていた。
 
私はきっと、それは作り足りないのだから、もっと作ればと言うかもしれない。どんどん作って作って、それが作品と呼ばれるただのガラクタなんだと分かるまで作ればいいと思うのだ。ただの土くれ、ただのかたち、でいいんじゃないだろうか。

全国レベルになりたいらしいその人の話によると、純粋に実力というよりもむしろ政治的な力とか、自己プレゼン能力の高い人が、どんどん高みに行くらしい。
今、たまたまそういう種類の人らしいと思う人の展示の準備中なのだけれど、結構どうかと思うのだ。もちろん作品を見なければいいとも悪いともいえないけれど、準備も何もあったもんじゃないというような事態になっていて、本当にどうかと思う。
 
でもまぁ負けに不思議なしとも言われるようだし。勝ち負けの問題ではないにしても。
 
私には人に何か言えることなんか何もないんだろう。自分がどこに向かっているのかも分からないし、第一もうどこに向かうかなんて考える必要もない年齢になったのだから、どこか、向かうとしたら、それはひとつしかない。
 
昨日、朝は元気だったのだけれど、その後雲の量が増すように絶不調となり、どこがどうということもないので、教えてもらった足湯を長いことつかい、すっかりあたたかくなっていつもより夜更かししてしまった。
 
とりとめのない話で。