角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

眠ってしまおう。

  
店舗の満足度が極めて低いので、いいたいことは山ほどあって、引き渡しを受けたものの一度も行ってない。拗ねているわけではなくて、他のことをしているのだけれど、満足度は100点満点でいうなら40点だ。
私は何度も何度もお洒落感なんかは無用であって、使い勝手と実用性を重視するとしつこく言った。図面をきちんと見ることができない自分が悪いのだけれど、出来上がりがどうも。ダブルシンクは営業許可のためには必須なのだけれど、これがどこで探してきたかというくらい小さくて大鍋が入るかどうか怪しいものだ。ごぼうなんか縦にしなきゃ入らない。真鯛もきっと入らない。自宅のシンクの方がはるかにたっぷり大きいのはどういうわけだ。
  
水回りはこのほか、厨房の手洗いと、トイレのタンクに付属したのとは別の手洗いのほか、清掃用のシンクを設置したけれど、どれもこれもみんな、おもちゃのように小さくて、ままごとをしているような気持ちになる。
清掃用のはモップなんかをガシガシ洗えるような深型の大きなものを想定していたにもかかわらず、猫が顔を洗う程度の大きさしかない。
  
L字型カウンターで囲まれたオープンキッチンには死角がないから、うさぎなら嬉しいかもしれないけど、寂しくても死んだりしない私にはとにかく隠れるところがないからストレスでやられてしまいそうだ。檻の中にいて、一挙手一投足を監視されつつにこやかにコミュニケーションしながら卵を焼いたりしなきゃいけないのは拷問のようだ。
  
一体なんなんだ。この設計は。と怒ったって、図面をきちんと見ない自分が悪いのだし、あれもこれも自分の思うようにするということには、お金がかかるのだから、仕方がない。
 
現場をみたところで、作業をする人たちがいる中で、仕様はその人たちのせいではないのだから、こんなのはいやだと言うわけにはいかず、まことに結構でございます、と喜びを表明した。
 
居抜きの予算でなにもかも、とお任せしたのだから、お金を出さずに口を出すのはダメなことだと思った。けれどいくらなんでも自宅よりも小さな厨房というのはいかがなものか。自分の夢と言うほど夢ではないけれど、希望は、大きなまな板とたっぷりのシンク、大きなガスコンロで仕事をすることだったのだけれど、しつこくいうけど自宅より小さい。自宅だって決して素晴らしいシステムキッチンなんかではないのだ。
  
棚でいいところに扉までつけるくらいなら、カウンターの角をすべらかに面取りするとかして欲しかった。客側カウンターにライトをつけるくらいなら、厨房側、手元に明かりが欲しかった。
 
誰かが店をやってくれればいいのに、とまで思う。私は中の人でいいのだ。中に専念できるんなら、それこそ朝からじっくり仕込みをして何だってつくるのにと思う。美味しいかどうかは知らない。
 
さて、かくなる上は、面倒な仕込みは自宅でこなして、材料を運ぶことにする。どう死角を確保するかも熱烈に考えることにする。いついつまでも文句を言ったって何も変わりはしないんだし。
 
連日、備品や食器類の購入のため業務用の店やDIYの店に行っている。食器は大いに妥協しなくてはならなかったので悲しい。ただ悲しい。でも1つか2つは好きなのをまぜてもいいかなと思う。
買い物はもう飽きた。それでも揃わないものをamazon、楽天、その他に発注する。今ここ。
 
で、きょうは包丁立ての話を書きたかったのだけれど、いいものがない。全くない。金銭の問題ではなく、使いたいものがない。画像モードにして、これがいい、とクリックしたものは全てプロアマ問わず個人が自分の欲しいものを作りました、という非売のものだった。
 
難しいものだと思う、意匠というのは。
すてきなものやカッコイイものはそれこそ売るほどあるのだけれど、具合よく使えそうなもの、シンプルなもの、機能性に徹したもの、というのがなかった。どこか材料的や意匠的に過剰であったりする無駄や、考えることを途中で放棄してしまった機能性の半端が美しさを貶めていると思った。私は機能性が要求されるものについては機能性こそを美しいと思う。過不足のなさを美しいと思う。
つまりその、私は美しさを2000円くらいで買えたらなあと考える者だ。
 
包丁立てに関しては妥協しない方針で、とりあえず用意しないことに決めた。尤も包丁は腕に合わせると、学校で使っていたもので十分なので、えらそうに文句を言うようなことではないけど。
 
毎日、とんでもなく早い時間に眠くなってしまい、私は眠いと何もかもだめになって、世界が終わってもいい、くらいにとにかく眠くなるので、昼寝はマストです。