角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

手とか。

 
ビール会社の人の書いた文章をたまたま目にしたのでちょっと。
1997年の消費税増税のとき、ビールテイストの売上は3月単月では売りあがったものの4月の増税で落ち込み、上半期は対前年で4%くらいの減少となったけれど、焼酎とワインが増税直前の3月及び上半期で対前年比プラスとなり、市場定着が進んだそうだ。特にワインはポリフェノールブームとあいまってかなり伸びた模様。
2003年の発泡酒の酒税改定のときは、酒税は工場出荷時点で課税となることから、賞味期限を考慮しながら流通在庫を増やし、酒税増税後も半月間ほど店頭に「増税前」の商品が並んだらしい。
そして今年は消費税増税であるから、2003年のようなことはなく、きっぱりと4月1日以降の購買の落ち込みを危惧する文章であった。
 
その辺の影響があるかもしれなくて、蕎麦店は昨日、非常に多忙を極め、帰宅が23時30分だった。もしかして私は夜の仕事なのかもしれない。そんな意識はまるでなかったけれど、たいてい帰り道はコンビニしか開いていないので、そうなのかもしれない。
 
意思がなければ、私は洗い場のおばちゃんだ。すさんだり、心が折れたりする意味が分からないので、特に私は何一つ変わっていず、私なんだけど、洗い物をしながら、洗い物のことを考えてみた。お客さまの前に並ぶのは、蕎麦だったら丼と箸だけか、すだれのついた蕎麦容器と箸だけか、と思うとそれがそんなわけではなくて、薬味皿もあれば蕎麦湯容器もあり、蕎麦湯用の容器も別にお出しするし、水やおしぼりもお盆もある。ご注文アイテムが増えればそれなり使用食器も増える。一品一容器というわけでもない。受け皿があったり、器イン皿、みたいなのもある。同時に厨房では、あたたかい蕎麦なら鍋を一人に一つ使って汁をあたため具材を必要に応じて加えるから人数分の鍋の洗い物が発生する。


卵を溶いたら溶いた容器と箸も洗う。一回ごとに洗う。あの汁と、この汁では内容が違うから使ったお玉もいちいち洗う。味見スプーンも一回ごとに洗う。だから即効で洗って拭いて所定位置に戻すことを繰り返す。食器の他にグラス類も当然たくさん発生するからこちらも丁寧に洗って、しまう。
 
だから本当に見た目以上にたくさんの洗い物が発生するし、使う洗剤の量も結構なものだし、ひび割れた手が治癒する隙もないものだ。厨房面積と客席の比率だとか、1坪あたりの売上だとか、気になる数字はいろいろあるから、たくさんの鍋や皿を保有することも現実的ではないし、まとめ洗いが必須の食器洗浄機も業態によっては実用的ではない。
 
洗い物がどれだけあったところで、特に命に関わるとは思わないけれど、体力を使い果たすことだってある。調理場には刃物も火も油もガスバーナーもあって、かなり危険な作業をするから、少し間違えば十二分に、再起不能な程度に損傷することも容易だ。
 
ではそんな危険な環境での労働対価がいかほどのものかというと、社会の底辺のような言われ方をする。それで、私は良く分からなくなるのだ。労働しないことが価値なんだろうか。空調の効いた室内で日差しをさけてパソ前で「頭脳労働」をしている方が価値があるんだろうか。いつから頭脳と肉体は価値的に分離されたのだろう。いったい頭脳を使わない肉体の動きというものがあるんだろうか。私の手は私が動かそうとして動かしているのだし、作業の効率を私のささやかな頭脳は考えてもいるのだ。
「頭脳」の方だってそうだ。考えただけで手も足もださないようでは、それは居眠りして夢を見ているのと同じだ。
 
私も、今のこの生活が夢であって、目が覚めたらもっと若く体力にあふれた自分がいたらいいと思う。そしたら、もっと包丁がうまくなれる。