角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

余白。

  
週末はK社長の事務所に行った。社長の仕事区切りの5月に合わせて、仕事を終了することを再度お伝えする。FAXと電話が使えないことと、そのうち解約してしまうことをお伝えすると、そうやって連絡がつかないようにするつもりなのかと聞くので、そうだと答えた。喧嘩腰の話ではなくて、普通のにこやかな会話で。

私の開業計画について、午後3時くらいから店を始めるといいとか、昼間に店を開けろとか言い出す。これまで少数ではあるけれど、飲食店を開業したいと人に話すと、判で押したように、みんな自分の好みを言う。おばんざいを鉢に入れて並べろとか、酒を勧められたら断るなだとか、ヘルシー志向がいいとか、さつま揚げさえあればとか、K社長のように昼間開けろとか。各人の好みは好みで尊重するけれど、口々に好き勝手を押しつけようとするのには閉口する。しかし、これらによって、私は貴重なことを学んだ。すなわち、誰のいうことも聞かなくていいのだと。これはとても重要なことだ。
 
K社長は足元が怪しくなっている。地下鉄から事務所までの徒歩10分位の距離がつらくて、時々はタクシーを利用するのだという。それでそろそろ仕事を誰かに任せて隠居したいようだ。もうとっくにそうすべきだったのかもしれない。事務所に女性がひとりいた時は、データでやりとりができたけれど、彼女がいなくなったあたりが潮時だったと思う。
この社長の仕事だけは、最後まで面倒をみようと考えていたことがあるから、変わってしまったのは自分なのかもしれない。
 
自分のつくりものには、ある程度の考え方や思惑がある。
本文とイラストのすきまに、勝手にあまりにも無関係なカットが切り貼りされていたことがあって、指摘すると「知らない」ととぼけるので、この人は私の仕事を全く理解していないのだとしみじみ思って、もういいかなと考えた。私の仕事は私の判断でできている。もう一方の数値の仕事とは違い、こちらの方は美しさも要素の一つだ。何か杜撰な手を加えられたりすることがたびたびあったりすると、興味深い内容の原稿が減ったことと重なって、意欲はとうに減退した。
 
夕方4時に家を出るのだと伝えると、化粧をして出かけるのかと聞くので、もう本当にうんざりした。私は厨房に入るのだから化粧は不要だ。もう何回も何回も言ったはずだ。
 
 
このごろの春先というのは、何か新しいことではなくて、終るようなこと、たたみかけるようなことばかりがあるので、小雨まじりを震えるような気持ちで歩いた。私は、行間や余白や、沈黙の時間を愛しいと思う。