角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

おでん一刻。

 

本についてる付録のCDって、どうして必ずなくなるんだろう。本を読む時に、とても邪魔になるので、外してしまい、それを忘れないようにと大事にしまうのだけれど、使いたい時に見つかったためしがない。
ゴミになるような物質性のものをわざわざつけないでDLできるようになってたらどんなに助かるだろうと思う。事実、そういう書籍はあるし、使ったこともある。
 
雪が随分降るせいもあり、寒いせいもあり、要は横着な性格のせいで、外に買物に行きたいけれど行けない。
昨日は老社長の、そろそろ面倒なので頭文字でいいかな、K社長の事務所に行って、やはり今の実力を生かせというような話をされて、としよりは頑固だなあと思う。同じ話を何回もする。よしんば何かの実力があったところで、それを通貨に変える能力が私にはないと、何度言ったら分かるんだろう。それにそれら仕事の環境や周辺事情を現実的に把握してない気もする。
 
妄想すると、もし自分が全幅の信頼を以て尊敬できる社長、夢の社長、社長オブドリームみたいな人が私を雇うから働けというんなら、私はあたかも会社嫁のごとく全身全霊誠心誠意情熱一路で仕事をすると思うけど、そこには大きな問題があって、自分の場合それは、ほどなく「愛情」になる。少なくともニアリイコールだ。相手の性質と自分の行動自体との双方向から貫通するのではないだろうか。


前に中華料理の先生が、唐揚げのとき、2度目の火力は全開、「全開といったら全開です」とおっしゃって、とても気に入って喜んでいたけれど、私もまた全幅といったら全幅だ。オブドリームの社長が全き性質でもって私の信頼に十二分に足りうるなら、それが敬愛・愛情に変わらないはずがないではないかと個人的には思うのだけれど、きっとそれは大間違いなのだろう。妄想だからどうでもいいけど。
 
で、本日は一歩も外に行けない。ところが私には昆布がない。昆布を買いたい。昆布がなければ一番出汁ができない。相乗効果を求めているのだ私は。
 
鰹節のことは良く気にしていて、切らさないように買い足すけれど、昆布はしかし盲点だった。私はおでんをつくろうとしている。店長が、おでんの出汁は、昆布に勝たせた方が美味しいと教えてくれた。勝つも敗けるも、昆布がないのだ。家には顆粒や粉末の調味料はない。
おでん材料は全部そろっていて、大根もやわらかく茹でてある。2日かけてつくろうとしていたのだが。
 
CDはやっぱりないし、昆布はないし。尤も私にないのはCDや昆布だけではないのだと考えると、特に驚いたり嘆いたりすることもないのかもしれない。