角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

漉し餡。

 

またしても遅く起きてしまい、苦々しい気持ちになった。仕事をしている人に本当に申し訳ないと思う。
外が白かった。昔のお客様社の人から電話が入る。いきなりで悪いんだけど、とその人が言う。なぜ調理師になろうと思ったの?と質問された。私のほうは寝起きで声も少し掠れていて、ごく当たり障りのない建前を話す。
開業したら絶対に通うから教えて欲しいと言われる。私はその人に開業のことなどは話していない。
 
こういうふうに人づてに情報が速やかに伝播するのが面白い。隠そうとすればするほど周知のところとなる。そういう戦略を使おうと私は思っているので、はからずも実証実験のようになった。
 
昨日の会食で、私の日常をちょっと話したら、見習いといえども無報酬というのはおかしいと、まきちゃんたちが言い張った。いつぞやは老社長が、旧態依然の業界なんだな、とぽつりと言った。
しかしながら店の視点からすると、店長1、ホール1の2名体制がデフォであるし、運営的にも経済的にも人を雇用する必要も余裕もないから、仕事を見せたり、教えたりするのは店の厚意とも言えるだろう。
 
けれど誰だって生活しなきゃならないから、何かルールを決めたうえで最低保障くらいを関連の協会・団体がまかなえばよいのではないかと考えた。尤もその店や会社に就職が決まっている人ならば試用期間なりの給与は支給されるはずだから、箸にも棒にもかからない自分のようなのはきっと少数なのかもしれない。少数であるがゆえに古臭い徒弟制度のような慣習に押し込められるているのかもしれない。
仮に使いものにならないくらい技術程度などが低い人間に対して「無報酬の見習い」という枠組みが存在するのなら、それはそういうレベルで卒業させる学校の運営の間違いであるし、免許を付与する制度や仕組みの誤謬だ。

個人の資質や努力でひびわれを接ぐようなことは私だってしたくはないに決まってるけど、じゃあ明日からこなくていいと言われるよりも、出汁巻き卵のコツでもつかんだ方が将来のためには圧倒的に役に立つ。
いかばかりの将来が待ち受けているのか知らないけど。出汁巻き卵が巻けなくたって人は死んだりしないものだけれど、自分に限っていえば、それは生死を案外分かつようなポイントだ。
 
まきちゃんには、そうだねえ、困ったねえと返事をしておいたけれど、どうにも身動きのとれないことだってある。
自分の挙動のどこかを間違えてここに至っているなら、どこで間違えたのかを気づけるのは私一人だ。
しかも、私は、それほど間違っていないと考えているのだ。正解が楽であるとは限らないのではないか。ましてや楽なことを正解であるとするのは、いやだ。
 
 
少し風邪気味かなと感じたので本日は図書館にもプールにも行かず、家で漉し餡を作る。私が購入した和菓子の本は少し古い二千ひとけたの時の本だけど、同じ人の最近の本を図書館でみたときは驚愕した。そこはかとなく野暮ったい感じの造形だったのが、ぞくっとするくらい美しい和菓子になっていて、ご本人も今やかなりの売れっ子になっているようだ。進歩する人はとてもいい。
 
漉し餡は粒餡の倍くらい手がかかったが、美味しいきれいな餡ができた。一晩おくと味がなじむので明日の朝は少し早く起きれるかと思う。