角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

きゃあるがなくんて。

 

きょうは富澤商店へ行きました。
いや、もう、どこへでも勝手に行けばいいと思うと思うけど。

人から教えられて、初めて行った富澤商店は和洋菓子素材を中心に各種素材や、周辺の道具があるお店。買い回るのも面倒なので、通販で買うしかないかなと諦めているような食材が全て揃いそうなので、なかなか離れがたく、うっとりするほど楽しかった。桜の葉の塩漬けや道明寺粉を買った。
 
帰りにスーパーによって今度こそ昆布を買った。
 
開業計画はまとまらないので投げ出したくなった。
みんなは、夢をかなえてね、みたいなことを言うけれど、私はぶらりと電子書籍リーダーを持って旅にでて、旅先の雨の日にはどこかで本を読んで、夜も本を読んで、朝になったら列車に乗って、みたいな生活が夢なので、飲食店を開業するのは何度も書くけど夢でもなんでもない、ただの生活手段を考えているだけなのだ。
私は朝起きて行く、行き場所が欲しいだけだ。 
 
行きつけの美容院は多分30年近く行きつけているので、調理師になった話とか、店を持とうかな、などを時々話すうちに、スタッフの若い女性が聞きつけて、夢を持ってるって素敵ですっ、かっこいいですっとか言ってくれるようになった。
その人も何か秘密で勉強していることがあって、必ずや達成するんだと言う。
それはいいけど、短い時間の会話の中に、カミサマが云々というフレーズがかなりしばしば登場し、しまいには私はカミサマにあたったような気持ちになった。
私はちっともかっこよくなんかないし、張り切っているわけでもないので、ほめられたりすると悲しくなる。無茶をするしか能がないだけなのに。
もちろん料理をするのは一日おきくらいには好きだ。誰かに食事を作ったことなどほとんどないので、ひとの反応は分からない。でも現在の自分が自分の手で、何かしら誰かの役に立てるとしたら、そこしかないような気もする。人が笑顔になるところを見たい。食の喜びは極めて単純で繕いようがないからいいと思う。

今までの仕事は誰が喜んでくれているかちっとも分からなかったし、企業相手なので、ストレートに個人的な喜びに直結するようなものではなかった。
 
そういうことを毎日ぐだぐだ考えながら、手元のスーパーボールにちょっかいを出しては中の光がきらきら動くのを眺めたりして、だらしなく一日が過ぎて行くという訳だ。
  
それから私は、どういうわけか「ちゃっきり節」から逃れられなくなっている。

北原白秋作詞。