角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

ave 1.5

 

一連の流れを全部見たわけではないけれど、今回の企画展はずいぶん勉強になった。専ら、中の作業に徹していたとはいえ。
特にテレビ番組放映以降は、急激にお客さまが増え売上も伸びた。
ある日、初めて来られたお客さまがたくさん作品をお買い求めになり、数十万円をカードで支払われた。
 
絵を買う人は不思議だなと思った。絵は、買っても買ってもどんなにお金を払っても誰かのものにはならないような気がする。だから、絵や作品とは別なところでお金が動いている。
 
絵を買う人は、何を一体所有したのだろう。値札がついている以上は何をどれだけお買い求めになっても一向に構わない。暮らしは心豊かに潤うかもしれない。ただ私は不思議だと思うだけで、絵を買うことが良くないなんて少しも考えちゃいない。
 
ギャラ社でも7、8枚くらい自社所蔵分を発注した。どんどん値上がりする、と彼女は言った。彼女は昨年、自社で展示した別の作家の作品もちょっと高いのだけれど買いたがっていて、その作家はもう高齢なので作品数はこれ以上増えないからかなり値上がりが見込める、と言った。
 
ご商売なので、そういう考えでも全く問題はないと思う。相談されたので、買えばいいのではと言った。私の方は全く無責任な立場であるから、欲しいものを我慢しなくていいのなら、我慢しなくていいのではないかと思うだけだ。
 
私がギャラリーにでて説明することは一切なかった。もちろんギャラリーを通るときにお客さまがいれば、常識的な挨拶はするものの。そして私に分かったことは、自分は全くものを売れない人間だということだ。
 
別に山の奥で獣に育てられたわけではないから、挨拶も、ちょっとした説明も普通程度にはできる。けれど、私は人にものを売れない。売ろうという気持ちにもならない。仕事であるならば少しは売らなくてはいけないという感覚はもてるかもしれないけれど、根源的なところで、売る気がないのは、きっと消費を美徳ではないと考えているからなのかもしれない。
 
何十万も買い物をするお客さんを目の前にして、もうそのへんで、とか制動しそうだ。
 
もうひとつ、致命的に人前に出られない理由がある。私は人の見分けがつかない。これは実に困ることだ。お客さまが入られると人感センサーのランプが事務所内で点滅するので、出て行って声掛けをする。事務所に戻り、再び点滅し、またギャラリーに出ると、どの人が今こられた人なのか分からない、と、こんなに極端ではないにしても「あ、困った」というシーンがある。病気とかそういう大げさな話ではなく、ただ単に不注意・無関心のためだと思う。
 
以前にも失敗した。見習いのために、すすきのの割烹に初めて出向いたとき、白衣の板前さんがいたので、挨拶した。次に、板前さんがいたので挨拶した。それから着替えか何かをして、厨房に行くと板前さんがいたので挨拶した。
ずいぶん板前さんの多い店だなあと思った。でも実際にはユニークデータは2であった。